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[[画像:Drumsfeld.jpg|right|ドナルド・ラムズフェルド]]
'''ドナルド・ヘンリー・ラムズフェルド'''('''Donald Henry Rumsfeld''', [[1932年]][[7月9日]] - )は、[[アメリカ合衆国]]第21代国防長官。[[ジョージ・W・ブッシュ]][[大統領]]下[[2001年]][[1月20日]]から[[アメリカ合衆国国防長官]]を務める彼はアメリカ史上最年長の国防長官である。また、[[ジェラルド・R・フォード]]政権大統領の、米国で1975年にアメリカ史上最年少国防長官として就任した経歴を持つ。[[イラク戦争]]ではブッシュ政権内で終始強硬な攻撃論を主張した。
 
ラムズフェルドは1954年に妻ジョイスと結婚しており、夫妻には3人の子供および5人の孫がいる。
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[[画像:Drumsfeld.jpg|ドナルド・ラムズフェルド]]
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==経歴==
== プロフィール ==
ラムズフェルドは[[イリノイ州]][[シカゴ]]生まれ1954年にラムズフェルドの祖父は[[ドイツ]]北部の[[ブレーメン]]からの移民であった。彼は奨学金を得て[[プリンストン大学]]に通い、卒業後、19571954までから[[アメリカ合衆国海軍|海軍]]でパイロット、飛行教官などで兵役を務めた。このころ全米海軍レスリングでチャンピオンとなる。退役後1957年から[[ワシントンD.C.]]で[[ドワイト・D・アイゼンハワー|アイゼンハワー]]政権下の[[オハイオ州]]選出下院議員の行政補佐官を務める。1960年から1962年までインベストメント・バンキング会社A.G.ベッカーで勤務した後[[1962年]]にイリノイ州より連邦下院議員([[共和党]])に30歳で当選し、1964年、1966年、1968年と、4期連続当選を果たす
 
[[ドワイト・D・アイゼンハワー|アイゼンハワー]]政権下、[[ワシントンD.C.|ワシントン]]入り。[[1962年]]、イリノイ州より連邦下院議員([[共和党]])に30歳で当選し、1964年、1966年、1968年と、4期連続当選を果たす。
 
===ニクソン政権===
任期中の1969年に下院議員を辞任、[[リチャード・ニクソン|ニクソン]]政権に参加してホワイトハウス入りし、
* 機会均等局長(''Director of the Office of Economic Opportunity'')
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などを務めた。当時の機会均等局での部下に現・副大統領[[リチャード・チェイニー]](Dick Cheney、''Richard Bruce Cheney'')がいる。
 
===フォード政権===
1973年、[[ワシントンD.C.|ワシントン]]を離れ在[[ベルギー]][[北大西洋条約機構]](NATO)米国大使に就任。1974年、[[ジェラルド・R・フォード|フォード]]大統領に呼び戻され、大統領首席補佐官(''White House Chief of Staff member of the President's Cabinet'')を務め、次いで1975年には合衆国史上で最年少(43歳)第13代国防長官(1975-1977)に就任した。
 
===レーガン政権===
1977年に国防長官を辞任し、製薬企業や通信企業を経営しつつ[[ロナルド・レーガン|レーガン]]政権下で、軍備や戦略、日米関係、中東問題、など各種の諮問機関で委員を務めている。<br>
<br>
 [[軍備管理に関する大統領諮問委員会]]委員(1982 - 1986年)<br>
 [[海洋法条約]]特使(1982 - 1983年)<br>
 戦略システムに関するパネル上級顧問(1983 - 1984年)<br>
 [[日米関係に関する米国合同諮問委員会]]委員(1983 - 1984年)<br>
 中東特使(1983 - 1984年)<br>
 [[公務に関する全米委員会]]委員(1987 - 1990年)<br>
 [[米国経済委員会]]委員(1988 - 1989年)<br>
 米国[[国防大学]]理事(1988 - 1992年)<br>
 [[日米関係委員会]]委員(1989 - 1991年)<br>
 [[連邦通信委員会]](FCC)[[高品位テレビ諮問委員会]](1992 - 1993年)<br>
<br>
米国が[[イラク]]を支援していたころの1983年12月19日、[[イラク]]を訪問し、[[サッダーム・フセイン]]と90分におよぶ会談を行なっている。1998年、米連邦議会の嘱託による超党派の「[[弾道ミサイル]]脅威評価委員会」(ラムズフェルド委員会とも呼ばれる)で委員長を務め、米国本土[[ミサイル]]防衛(NMD)の報告書を提出、戦略ミサイル防衛構想を推進した。<br>
 [[米国貿易赤字調査委員会]]委員(1999 - 2000年)<br>
 [[国家安全保障宇宙管理組織評価委員会]]議長(2000年)<br>
 
===ブッシュ政権===
2000年12月、米国大統領選挙戦の終盤に[[ジョージ・ウォーカー・ブッシュ|ジョージ・ブッシュ]]が国防長官への起用を発表。翌[[2001年]]、[[ブッシュ政権]]が誕生し、同政権下で国防長官を務めている。
 
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* [http://www.whitehouse.gov/government/rumsfeld-bio.html Secretary of Defense Donald Rumsfeld](ホワイトハウスサイト内、英語)
* [http://www.defenselink.mil/ Official Web Site of the U.S. Department of Defense](英語)
* [http://www007.upp.so-net.ne.jp/togo/human/ra/donaldhr.html ラムズフェルド、ドナルド・H](日本語)
 
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{{people stub}}
|width="30%" align="center"| '''前任''':<br>[[ジェームズ・R・シュレージンガー]]<br>
[[category:ネオコン|らむ]]
|width="40%" align="center"| [[アメリカ合衆国国防長官]]<br>1975 - 1977
|width="30%" align="center"| '''後任''':<br>[[ハロルド・ブラウン]]
|-
|width="30%" align="center"| '''前任''':<br>[[ウィリアム・S・コーエン]]
|width="40%" align="center"| [[アメリカ合衆国国防長官]]<br>2001 -
|width="30%" align="center"| '''後任''':<br>
|}
[[category:ネオコン|らむすふぇると]]
[[Category:イラク戦争|らむすふぇると]]
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