「市村羽左衛門 (10代目)」の版間の差分

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10代目'''市村 羽左衛門'''(いちむら うざえもん、[[寛延]]元年([[1748年]]) - [[寛政]]11年([[1799年]][[2月15日]])は宝暦期から寛政期にかけて活躍した[[歌舞伎役者]]。 [[屋号]]は菊屋。[[俳名]]は亀全。別名は2代目[[市村家橘|家橘]]。
 
[[市村羽左衛門 (9代目)|9代目羽左衛門]]の息子。[[1755年]]11月市村七十郎と名乗り、 [[1758年]]に初舞台を踏む。[[1762年]]11月父が[[市村羽左衛門|羽左衛門]]を襲名し、父の前名2代目[[市村亀蔵|亀蔵]]と改める。[[1788年]]9月、[[市村羽左衛門|羽左衛門]]を襲名し、座本となる。前代からの借金が一度完済するが、再び大借金となり、桐座を控座として興行する。親類の福地茂兵衛の息子を養子にし、[[市村羽左衛門 (11代目)|11代目羽左衛門]]を襲名させる。[[1797年]]、65歳の魚商の老人が経済的に協力し、翌年、市村座は再興したが、その翌年死去。