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===灑雪亭露地===
[[画像:Saisetsu-tei.jpg|thumb|灑雪亭]]
本庭最上段の灑雪亭露地は面積約570平方メートル(約173坪)、慶安四年(1651年)三代藩主利常に招かれ御茶道として仕えた[[千仙叟宗室]]([[裏千家]]始祖)の指導によるもので、宏大な池を中心とする庭園と、庭東部の茶席『灑雪亭』からなり、亭前の茶庭には雲龍の陽刻をなした[[蹲踞]]を配している。灑雪亭の名は脇田家二代当主直能が、藩の招きで来藩していた儒学者[[木下順庵]]が本庭園に遊んだ際に詠んだ詩の一節「飛泉蔭雪灑」からとったもので、順庵自身の命名になる。本席は一畳に台目二畳の利休の侘びを尊ぶ簡素な席で、[[金沢市]]内に現存する茶室としては年代的に最も古いものとされている。玉泉園・灑雪亭露地とも明治三十八年(1905年)西田家の所有となり、二代目当主儀三郎氏~三代儀一郎氏~四代外喜雄氏の三代にわたり個人の手で維持・管理されてきたが、昭和四十六年(1971年)4月、財団法人西田家庭園保存会の設立により当保存会が寄贈を受け、一般公開されている。