「カメルーンの歴史」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
Hareno (会話 | 投稿記録)
残りの原稿を一気に投入
Hareno (会話 | 投稿記録)
m編集の要約なし
4行目:
'''カメルーン'''は[[安定陸塊]]である[[アフリカ大陸]]中央部西岸に位置する。[[熱帯]]性の気候下にあり、人類が発生した環境に近い。現在のカメルーン最北部は,隣国[[チャド]]と[[チャド湖]]を分かつ。チャド湖の100km東方にはガザール・ワジ (Bahr el Ghazal) と呼ばれる枯れ谷が200kmにわたって伸びている。[[1995年]]、2人の[[古生物学]]者[[フランス]] ポアティエ大学のミッシェル・ブリュネ、[[アメリカ合衆国|米国]][[ハーバード大学]]のデイビッド・ピルビームは、ワジの北端に位置するコロ・トロで300万~350万年前の[[アウストラロピテクス]]の下顎骨の一部の[[化石]]を発見した。これは、[[タンザニア]]のラエトリ(360万年前)で発見された化石と並ぶ最も古い時代の化石である。初期人類の化石が大量に発見されているオルドヴァイ渓谷などアフリカ大地溝帯の外部にも人類の祖先が生存していたことが分かった。アウストラロピテクスは現生人類([[ホモ属]])の直接の祖先ではないものの、この地域が居住に適した環境であったことは想像できる。
 
==西欧との接触有史以前==
カメルーン中部、[[ベヌエ川]]南岸のバメンダ近郊のシュム=ラカ(Shum Laka)遺跡で、紀元前5000年頃のものと思われる型押文のある(stamp-decorated)[[土器]]が[[鍬]]状[[石器]]と[[共伴]]して発見されている。また同時期に[[磨製石斧]]の出土例がカメルーン国内で見られる。土器を使用する[[農耕]]民が早くから定住していた証拠と考えられる。