「身毒丸 (舞台作品)」の版間の差分

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*1997年の再演にあたり、岸田は初演になかった台詞を付け足している。家族合わせの途中で抜け出した身毒丸と、母札がないことを知った撫子がそれぞれの想いを語る場面がそれ。また、行水をする身毒丸を撫子が発見する場面は、初演では武田が裸になるのを拒否したため、シャツを脱いで洗濯する場面になったが、再演では元通りにされた。また、撫子が大事にしている小箱は、初演では中に爪が入っていたのが、再演からは、実は何も入っていなかった、という変更がされている。
*1997年のロンドン公演当時に英国留学中だった演出家[[鴻上尚史]]は、蜷川に会うためバービカン劇場での仕込みに顔を出したものの、現地スタッフとの意思疎通の問題などで遅々として進まない舞台稽古を見学しているうちに痺れを切らし、自ら機材を運ぶなど手伝いをした。
*ロンドン公演では字幕は用いず、開演前に俳優[[アラン・リックマン]]のナレーションによるあらすじを流した(2008年のワシントン公演でも同様)。これはリックマンは、1991年に蜷川演出の『Tango at the End of Winter』([[タンゴ・冬の終わりに]])に主演しているた縁
*ロンドン公演の千秋楽前日に、以前から患っていた藤原の腰痛が悪化したため、千秋楽昼公演は代役を立てて上演された。夜公演も代役でいくはずだったが、そのことを知った藤原の懇願に蜷川が折れ、もしもの時のために舞台袖に代役の俳優を待機させて、藤原を出演させた。動くことすら困難なはずの藤原は、舞台に立つや激しい動きもこなし、それまでの出来を上回る鬼気迫った演技を見せた。
*本作の出演者であるのうち蘭妖子と日野利彦は、天上桟敷公演の『身毒丸』にも出演している。
*近年、舞台の音響は通常は[[MD]]再生によるものだが、『身毒丸』ではこだわりで8トラックを使用している。
*「地獄のオシガラミ」の場面ではバックの音楽が大音量であるため、撫子と身毒丸の台詞の一部は録音である。1997年上演時の録音が2002年の上演でも利用されたため、髪切虫を呼び寄せる藤原の台詞だけ声が若く聞こえた。