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'''三浦 房清'''(みうら ふさきよ、生年不詳 - [[天文 (元号)|天文]]24年[[10月1日 (旧暦)|10月1日]]([[1555年]][[10月16日]]))は、[[周防三浦氏日本]]の一族で、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]の[[武将]]。[[周防三浦氏]]の一族で、[[陶晴賢]]の家臣。官途は越中守。
 
== 生涯 ==
大内家中では[[水軍]]の将として知られ、大内水軍の中核を担っていた。[[1555年]]には[[仁保島村|仁保島]](現在の[[黄金山]])の[[仁保城]]に攻撃を仕掛けたが、城将の[[香川光景]]によって撃退された。[[1555年]]の[[厳島の戦い]]に際しては水軍を率いていたこともあり、海路からの安芸侵攻と宮島への上陸を主張。本戦では奇襲で壊走した敗軍をまとめ、主君陶晴賢に逃走を勧めて自身は奮戦したが、[[吉川氏|吉川]]家臣・[[二宮俊実]]によって討ち取られた。
 
死後、周防三浦氏の家督は一度絶えるが、後に神田氏より養子に入った[[三浦元忠]]が継いだ。
 
== 関連項目 ==
* [[弘中隆包]]
* [[宮川房長]]
 
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