「福岡空港ガルーダ航空機離陸事故」の版間の差分

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== 事故の原因 ==
事故の引き金になったエンジン故障であるが、高圧[[ジェットエンジン#タービン|タービンブレード]]が[[疲労_(材料)|疲労]]により破断したことが原因であった。この種類の疲労亀裂は、通常の検査方法では発見するのが難しいものであった。またブレードは製造メーカーの[[ジェネラル・エレクトリック]]社が推奨する廃棄の目安となる使用サイクルを超過していたという。
 
日本の[[運輸省]]事故調査委員会(当時)は、[[1997年]][[11月20日]]に報告書を公表し、離陸を中断した機長の状況判断が適切でなかったとした。機長は離陸を中断しなければ空港周辺にある建物に衝突するおそれがあるから離陸中断を決意したと証言した。これは離陸した滑走路から先に山並みがあり、瞬間的に飛び越せないと判断したと思われるが、離陸中断をした時点では離陸中断するかどうかの最終判断ポイントである[[離陸決心速度|V<sub>1</sub>]](279km/h)を超過していたため、そのまま上昇してから緊急着陸したほうが無事に生還できる可能性が高かった。そのため本事故のように、適切でない判断が滑走路を飛び出し炎上する結果となったといえる。
 
犠牲者3名はそれぞれ座席番号34K、35K、35Jと機体右窓側に着席していたが、34K、35Kの2名については右側[[降着装置|ランディング・ギア]]が胴体を直撃した衝撃で即死しており、35Jの乗客は気を失い焼死したと推測されている。そのほかの乗客は機体が全焼するまえに脱出することに成功したが、脱出時に[[客室乗務員]]による避難誘導がなかったか十分に行われなかったとの指摘が多くの乗客らからあがった。これは乗客のほぼ全てが日本人であり、一部の客室乗務員の呼びかけが乗客に十分に伝わらなかったものと報告書は推測している。しかしながら、乗客の多くから乗員が乗客よりも先に脱出したとの批判は根強かった。また事故機に搭載された「安全のしおり」は英語とインドネシア語の標記のみであり(イラストは入っていたと思われる)、脱出時に非常口の位置を知ることが出来ずに混乱を生じたという指摘もある。
 
なお、事故機の[[垂直尾翼]]が障害物となったため、福岡空港は撤去が完了するまで閉鎖された。
 
== 余談 ==