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|背番号=
|利き足=
;|クラブ=
|CAP数=60
|年=
|代表ゴール数=7
|出場(得点)=<!--国内リーグ戦に限る-->
|クラブ成績更新日=
|代表国={{ITAf}}
|代表年=1994-1999
|代表出場(得点)=60 (7)
|代表成績更新日=
}}
'''ディノ・バッジョ'''('''Dino Baggio'''、[[1971年]][[7月24日]] - )は、[[イタリア]][[カンポサンピエーロ]]出身の元[[サッカー|サッカー選手]]。

== 人物・プレースタイル ==
守備的MFとして[[サッカーイタリア代表|イタリア代表]]や[[ACパルマFC|パルマ]]の一時代を築いた選手。同時期に同姓の[[ロベルト・バッジョ]]が活躍していたため、「もう一人のバッジョ」と呼ばれていた。
 
== プレースタイル ==
中盤のバランスをとりながらもここぞと言う場面ではロングシュートで膠着状態を打開できた選手。セットプレーの時も長身を生かし得点に絡む事が出来た。ラツィオを離れてからは、センターバックとしてもプレーしている。
 
イタリア代表としては1991年12月21日の[[サッカーキプロス代表|キプロス]]戦([[フォッジャ]])で代表デビュー。[[1994 FIFAワールドカップ]]、[[1998 FIFAワールドカップ]]、[[UEFA欧州選手権1996|ユーロ96]]に出場した。
=={{flagicon|Italy}}代表経歴==
*1991年12月21日の[[キプロス]]戦([[フォッジャ]])で代表デビュー
*[[1994年]]・[[1998年]] [[ワールドカップ]]出場(2得点)
 
;クラブ
*1992-93 UEFAカップ優勝
*1994-95 UEFAカップ優勝
*1998-99 UEFAカップ優勝
 
== トリビア ==
引退後、近年は趣味として[[演劇|演劇活動]]を行っているという。
 
== 所属クラブ ==
*1989年-1991年 {{flagicon|ITA}}[[トリノ・カルチョ|トリノ]]({{ITA}})  
*1991年-1992年 {{flagicon|ITA}}[[インテルナツィオナーレ・ミラノ|インテル]]({{ITA}})
*1992年-1994年 {{flagicon|ITA}}[[ユヴェントス]]({{ITA}})
*1994年-2000年 {{flagicon|ITA}}[[ACパルマ|パルマ]]({{ITA}})
*2000年-2003年 {{flagicon|ITA}}[[SSラツィオ|ラツィオ]]({{ITA}})
*2003年-2004年 {{flagicon|ENG}}[[ブラックバーン・ローヴァーズ]]({{ENG}})
*2003年-2004年 {{flagicon|ITA}}[[アンコーナ・カルチョ|アンコーナ]]({{ITA}})
*2004年-2005年 ラツィオ({{flagicon|ITA}}ラツィオ
*2005年 {{flagicon|ITA}}[[USトリエスティーナ|トリエスティーナ]]({{ITA}})
 
== プレースタイ ==
*1992-93 UEFAカップ優勝
*1994-95 UEFAカップ優勝
*1998-99 UEFAカップ優勝
 
{{1994 FIFAワールドカップイタリア代表}}
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[[Category:トリエスティーナの選手]]
[[Category:1994 FIFAワールドカップ出場選手]]
[[Category:1971年生]]
{{Footybio-stub}}
 
[[bg:Дино Баджо]]