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{{Infobox baseball player
'''J.T.スノー'''('''Jack Thomas "J. T ." Snow, Jr'''、[[1968年]][[2月26日]] - )は[[アメリカ合衆国|アメリカ]][[カリフォルニア州]]出身の元[[メジャーリーグベースボール|MLB]]選手。最終所属球団は[[ボストン・レッドソックス]]。
|選手名 = J.T.スノー
|英語表記 = J. T. Snow
|所属球団 =
|背番号 =
|選手写真ファイル名 = Pbpsnow.jpg
|写真サイズ = 200
|写真のコメント =
|国籍 = {{USA}}
|出身地 = [[Image:Flag of the United States.svg|20px|アメリカ合衆国]] [[カリフォルニア州]][[ロングビーチ (カリフォルニア州)|ロングビーチ]]
|生年月日 = {{生年月日と年齢|1968|2|26}}
|没年月日 =
|身長 =
|体重 =
|利き腕 = 左
|打席 = 左
|守備位置 = [[一塁手]]
|プロ入り年度 = 1989年
|ドラフト順位 = ドラフト5巡目
|初出場 = 1992年9月20日
|最終出場 = 2006年6月18日
|年俸 =
|経歴 = <nowiki></nowiki>
* [[ニューヨーク・ヤンキース]](1992年)
* [[ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム|カリフォルニア・エンゼルス]](1993年 - 1996年)
* [[サンフランシスコ・ジャイアンツ]](1997年 - 2005年)
* [[ボストン・レッドソックス]](2006年)
|選出国 =
|選出年 =
|得票率 =
|選出方法 =
}}
'''J.T.スノー'''('''Jack Thomas "J. T ." Snow, Jr'''、[[1968年]][[2月26日]] - )は[[アメリカ合衆国|アメリカ]][[カリフォルニア州]]出身の元[[メジャーリーグベースボール|MLB]]選手。最終所属球団は[[ボストン・レッドソックス]]。
 
== 経歴 ==
 
[[1997年]]から[[2005年]]まで[[サンフランシスコ・ジャイアンツ]]で一塁のレギュラーを務めていたが、レッドソックス移籍後は[[ケビン・ユーキリス]]、[[マイク・ローウェル]]の存在もあり、レギュラーにはなれなかった。打撃面は年々衰えを見せているが、守備力は高く堅実と評価された。[[2006年]]に現役引退。今後は古巣のサンフランシスコ・ジャイアンツの[[ゼネラルマネージャー|GM]]のアドバイザー役に就任する。
ちなみに、父のジャックは、[[NFL]]屈指の[[アメリカンフットボールのポジション#ワイドレシーバー|ワイドレシーバー]]だった。
カリフォルニア州ロス・アラミトス高校時代、後にジャイアンツで共に活躍することとなる[[ロブ・ネン]]とチームメイトだった。
 
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[[1997年]]には、ジャイアンツの組織内で最も大きな影響を与えた人物を選手・球団スタッフ・コーチが選ぶ、「[[ウィリー・マッコビー|ウィリー・マック]]賞」を受賞。
 
[[2003年]]は、球団史上3人目となるスプラッシュ・ヒット(当時の本拠地、[[AT&Tパーク|SBCパーク]]のライトスタンドの後ろにある湾に本塁打を叩き込むこと)を達成している
 
[[2004年]]は、規定打席不足ながらメジャー13年目で初の打率3割、こちらも初となる出塁率4割、2度目の長打率5割超えを達成。そして、シーズンオフには、2度目のウィリー・マック賞を受賞。当時の[[フィリペ・アルー]]監督は、「彼の存在感は、このクラブハウスでとても大きい。彼の練習に取り組む姿勢から、プロの姿勢を学んでいるチームメイトも多い」と語っている。ちなみに、この賞の受賞者はジャイアンツ史上2人目の快挙だった。
 
[[2005年]]は、[[ランス・ニークロ]]とのツープラトン起用ながら、117試合に出場。堅実な守備を披露する一方で、若手にアドバイスを送るなど、ベテランらしい一面ものぞかせた。