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世界全体から代表を招集する会議を
世界公会議、エキュメニカル公会議、また[[東方正教会]]に属する[[日本ハリストス正教会]]では'''全地公会'''と呼ぶ。
 
最初の世界公会議は[[325年]]の[[第1回ニカイア公会議]]であった。この類の宗教会議は、しばしば[[皇帝]]が召集しまた議長を務めるなど、世俗権力の下で執行されることが多かった。そのため、ローマ使徒座を首位とする西方教会([[カトリック|ローマ・カトリック]]教会)では、[[ローマ教皇]]自ら出席せずにその特使([[枢機卿]])を派遣して、後に教皇が決議を承認するという形式が慣例であった(現在の[[カトリック教会]]の[[教会法]]では、教皇による召集が義務となっている)。
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==世界公会議(全地公会)対応表==
* 一全地1回公会 [[325年]] [[第1回ニカイア公会議]] - アレイオス派排斥および[[ニカイア信条]]採択、[[復活祭]]制定<br>
* 二全地2回公会 議 [[381年]] [[第1回コンスタンティノポリス公会議]] - [[三位一体論]]の定義、[[ニカイア・コンスタンティノポリス信条]]採択
* 三全地3回公会 [[431年]] [[エフェソス公会議]] - [[ネストリオス派]]の排斥と[[神の母|テオトコス]]教義の確認
* 四全地4回公会 [[451年]] [[カルケドン公会議]] - [[単性論]](449年[[エフェソス強盗会議|エフェソス教会会議]]の決議)の排斥
* 五全地5回公会 [[553年]] [[第2回コンスタンティノポリス公会議]] - カルケドン議決の再確認および[[聖母の終生童貞]]の確認([[三章論争]])
* 六全地6回公会 [[680年]]-[[681年]] [[第3回コンスタンティノポリス公会議]] - [[単意論]]の排斥
* 七全地7回公会 [[787年]] [[第2回ニカイア公会議]] - [[イコン|聖像]]使用の教義の確認
これ以降、東方正教会とローマ・カトリックで数え方が異なる
*<!--九全地8回公会> [[869年]]-[[870年]] [[第4回コンスタンティノポリス公会議]] - コンスタンティノポリス総主教フォティオスの追放
*<!-- 九全地9回公会> [[1123年]] [[第1回ラテラノ公会議]] - [[聖職叙任権闘争]]
*<!-- 十全地10回公会> [[1139年]] [[第2回ラテラノ公会議]] - 教会改革とアルノルド・ダ・ブレシア追放
*<!-- 十一全地11回公会> [[1215年]] [[第3回ラテラノ公会議]] - [[教皇選挙法]]改正
*<!-- 十二全地12回公会> [[869年]] [[第4回ラテラノ公会議]] - [[異端審問]]および[[十字軍]]の制定
 
*<!-- 十六全地16回公会> [[1414年]]-[[1418年]] [[コンスタンツ公会議]] - [[シスマ]]終結、[[フス]]断罪、[[公会議首位説]]の決議
*<!-- 十七全地17回公会>議 第八全地公会:[[東方正教会]]での呼称ただしフィレンツェの会期のみを指していう第8回公会議とする場合がある) [[1431年]]-[[1445年]] [[バーゼル・フェラーラ・フィレンツェ公会議]] - [[教皇首位説]](コンスタンツ公会議の修正)、[[フィリオクェ問題]]の決議
 
===参照 (外部リンク)===