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'''犬伏 孝行'''(いぬぶし たかゆき、[[1972年]][[8月11日]] - )は日本の[[陸上競技]]選手。元[[マラソン]]日本最高記録保持者。[[徳島県]][[麻植郡]][[山川町 (徳島県)|山川町]](現[[吉野川市]])出身。
 
== 人物 ==
中学時代は[[サッカー]]に熱中していたが、[[徳島県立城ノ内高等学校]]時代から陸上競技にいそしむ。高校卒業後に[[大塚製薬]]に入社。1999年9月の[[ベルリンマラソン]]で、2時間6分57秒と日本男子初の2時間6分台をマーク、日本最高記録を樹立した。2000年2月の[[東京国際マラソン]]では、2時間8分16秒で日本人トップの4位でゴール、[[川嶋伸次]]([[旭化成]]・後に[[東洋大学]]陸上競技部監督)、[[佐藤信之]](旭化成・のちに[[トヨタ紡織]]陸上競技部コーチ。1999年セビリア世界選手権マラソン銅メダリスト)とともに、[[シドニーオリンピック]]男子マラソン代表に選出された
 
[[1999年]]9月の[[ベルリンマラソン]]で、2時間6分57秒と日本男子初の2時間6分台をマーク、当時の日本最高記録を樹立した。[[2000年]]2月の[[東京国際マラソン]]では、35Km地点の給水後に[[腹痛]]を起こすアクシデントが有りながらも、2時間8分16秒で日本人トップの4位でゴール。この成績により、[[川嶋伸次]]([[旭化成]]・後に[[東洋大学]]陸上競技部監督)、[[佐藤信之]](旭化成・のちに[[トヨタ紡織]]陸上競技部コーチ。[[1999年世界陸上選手権|1999年セビリア世界陸上]]男子マラソン銅メダリスト)とともに、2000年10月開催の[[シドニーオリンピック]]男子マラソン代表に選出された。
シドニー五輪では日本のエースとして入賞、あわよくばメダル獲得も期待された。しかし、レース中盤以降に脱水症状が酷くなり、38Km付近で途中棄権という残念な結果に終わる。女子マラソンで金メダル獲得となった[[高橋尚子]]とは全く対照的な形になった(川嶋は21位、佐藤は41位と、男子3選手ともに入賞ならず)。
 
シドニー五輪では日本のエースとして入賞、あわよくばメダル獲得も期待された。しかし、レース中盤以降に[[脱水]]症状が酷くなり、メダル・入賞争いから脱落。結局ゴール地点まであとわずかの38Km付近で途中棄権という残念な結果に終わる。同五輪で女子マラソンで優勝、[[金メダル]]獲得となった[[高橋尚子]]とは全く対照的な形になった(他男子マラソン代表の成績は、川嶋が最高で21位、佐藤41位と、男子3選手ともに入賞ならなかった)。
その後は股関節の故障に悩まされて思うような走りは出来なくなったが、辛抱強く選手としての活動を続けている。現在は大塚製薬陸上競技部コーチを兼任している。
 
その後は股関節の故障に悩まされて思うような走りは出来なくなったが、辛抱強く選手としての活動を続けている。現在は大塚製薬陸上競技部[[コーチ]]を兼任している。
 
元[[西武ライオンズ]][[捕手]]の[[犬伏稔昌]]とは親戚関係である。