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Jade0416 (会話 | 投稿記録)
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[[プロテスタント]]諸教会は([[宗教改革]]期以降の公会議はもちろんのこと)すべての公会議を認めているわけではないが、特に初期の数回の公会議の重要性は認識されている。
 
[[正教会]]は基本的には787年の[[第2ニカイア公会議]](第7回公会議)までの7回の公会議のみを認めており、それ以降は西方教会の地方[[教会会議]]であると認識している(決議の有効性は認めず)。ただし、ローマカトリックでいう第17回公会議(特にフィレンツェにおける会期)には議論がある。正教会の代表者も参加し、東西分裂以後、一致を計った普遍的な公会議たるべく開催され、一時は合意に達したものの、正教会が承認できる内容ではなかったため最終的に合意は成立せず、会議後間もなく[[東ローマ帝国]]が滅亡してしまったために交渉自体も消滅。このため正教会側では第8全地公会(第8回目の普遍的公会議)とは認識されていない。
 
なお、正教会では、自律した諸地方教会単位までの教会会議を便宜的に「地方公会」と呼ぶことがあり、これは使徒的な諸自律教会全体を包括する公会議を「全地公会」と区別される。現在でもローマ、コンスタンチノープル、ロシアなどの諸教会単位で行われる教会会議は地方公会であり、第1ニケアから第4コンスタンチノープル会議まで7回の会議のみが全地公会としての要件を満たした普遍的公会議(全地公会)であるとしている。