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[[岐阜県]]出身。農業・寺倉祐九郎の二男として生れる。[[熊本県立済々黌高等学校|中学済々黌]]中退、[[陸軍幼年学校|名古屋地方幼年学校]]を経て、{{和暦|1910}}5月、[[陸軍士官学校 (日本)|陸軍士官学校]](22期)を卒業。同年12月、陸軍[[歩兵]][[少尉]]に任官し[[歩兵第59連隊]]付となる。{{和暦|1919}}11月、[[陸軍大学校]](31期)を優等で卒業した。
 
{{和暦|1920}}4月、[[陸軍省]][[陸軍省#軍務局|軍務局]]付勤務となり、軍務局課員、[[陸軍歩兵学校]]付([[ドイツ]]出張)、ドイツ駐在、[[歩兵第37連隊]]付などを経て、{{和暦|1925}}8月、歩兵[[少佐]]に進級し[[歩兵第8連隊]]付となる。軍務局課員(軍事課)、兼[[参謀本部 (日本)|参謀本部]]員、[[歩兵第61連隊]]付、参謀本部員などを歴任し、{{和暦|1933}}8月、歩兵[[大佐]]に昇進し歩兵学校研究部主事となった。
 
{{和暦|1934}}年4月、独立歩兵第1連隊長に就任し、陸軍省[[副官]]を経て、{{和暦|1937}}8月、陸軍[[少将]]に進級し[[下志津陸軍飛行学校]]付となる。{{和暦|1938}}3月、第1飛行団長に就任し、次いで[[陸軍航空士官学校]]長となり、{{和暦|1939}}10月、陸軍中将に進んだ。{{和暦|1941}}10月、[[仙台師管区|留守第2師団]]長に就任し[[太平洋戦争]]を迎えた。