削除された内容 追加された内容
Kinori (会話 | 投稿記録)
649年から685年まで日本で用いられた冠位。下から2番目、後に下から3番目
 
Kinori (会話 | 投稿記録)
m →‎叙位された人物: 誤字、リンク付け
9行目:
 
== 叙位された人物 ==
『[[日本書紀]]』では三つの記事でこの冠位を授かった人物が現れる。[[中臣間人老]]は、[[白雉]]5年([[654年]])2月の[[遣唐使]]の一員である。[[沙尼具那]]と[[青蒜]]は[[斉明天皇]]4年(658([[658]])の[[阿倍比羅夫]]北征で降った[[蝦夷]]で、都に上って饗応され、冠位を授けられた。[[都岐沙羅柵]]と[[渟足柵]]の[[柵造]]も同じ冠位になった。遣多禰島小使の[[上光]]は、大使で[[大乙下]]の[[倭馬飼部連]]とともに[[天武天皇]]8年([[679年]])に[[多禰国|多禰島]]に派遣された。
 
*[[中臣間人老]] - [[白雉]]5年([[654年]])2月見。遣唐判官。