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== 概要 ==
[[上陸戦]]の研究に熱心だった日本陸軍は、上陸用舟艇の護衛と対地攻撃のために、専用の戦闘用舟艇を開発することにした。[[{{和暦|1928年]]([[昭和]]3年)}}に試作艇が完成し、装甲艇'''さきがけ'''と命名された。その後、2号艇'''勝鬨'''、3号艇と改良を重ね、[[1930年]]前半から3号艇を基本とした量産型を生産に移した。以後も、若干の改良が続けられている。
 
装甲艇は、その名の通り船体と上部構造物に装甲が施されていた。武装は[[大砲]]1門と[[機関銃]]2門をそれぞれ[[砲塔]]式に搭載するのが基本で、1号艇では[[37mm狙撃砲]]、2号艇以降は[[八九式中戦車]]と同じ[[九〇式57mm戦車砲]]を搭載した。{{和暦|1938}}以降の艇では57mm戦車砲2門と機関銃となった。
 
[[日中戦争]]では沿岸や河川で広く活躍し、[[太平洋戦争]]でも上陸作戦や海上輸送時に[[大発動艇]]などの護衛として使用された。しかし、低速であったので、太平洋戦争では[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]軍の[[魚雷艇]]に十分に対応できなかった。そのため、対魚雷艇戦闘用として[[カロ艇]](駆逐艇)などが新たに開発されることになった。