「オホーツク新聞 (紋別市)」の版間の差分

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最終期は[[菊判|菊四裁判]]4ページで購読料1か月1,650円、公称部数は3,200部。宅配エリアは紋別市内の紋別・渚滑市街地および上渚滑市街地のみでそれ以外の地域は郵送だった。本社は紋別市幸町4丁目2番地6号で、専売店はなかった。1990年代半ばから数年間、[[札幌市]]内に「札幌支局」を設けていたが、新聞事業とは無関係で記者および営業担当者の配置はなかった。
 
紋別印刷所(のち紋別印刷有限会社)の山中昭七が1958年2月23日、週刊の『週刊紋別』として創刊。同年8月、『紋別新聞』に改題し週2回発行に移行。1959年に隔日刊、1969年から日刊発行(月曜休刊)となった。同社が[[2000年]]から不定期刊行したミニ新聞『オホーツク新聞』の題号を[[2003年]]に商標登録。同年、本紙の題号および商号も『オホーツク新聞』に変更した。しかし部数の低迷が続く中、事実上の主力事業だった一般印刷の売上が[[2008年]]以降急減したことを理由て経営行き詰まり、2009年[[3月31日]]付で休刊し従業員を解雇した<ref>「オホーツク新聞が休刊」『北海道新聞』2009年3月18日付朝刊</ref><ref>「『オホーツク新聞』休刊へ、印刷物発注激減で」『読売新聞』東京本社版2009年3月19日付朝刊</ref>。
 
1993年に廃刊した北見市の[[オホーツク新聞 (旧)|オホーツク新聞]]とは関係ない。