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Pirosiki (会話 | 投稿記録)
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[[フーゴー・グローティウス|グローティウス]]、[[プーフェンドルフ]]らの古典的社会契約論は、自然状態では人は[[自然権]]を有するともに、[[自由]]で[[平等]]な人間が社交性を持ち集団で牧歌的・平和的に暮らしていたと仮定する。その上で、人の社交性の延長として、自然発生的に、臣民が自己の庇護を求めて王に服従する契約を締結したことによって国家が成立したとみる。中世的社会契約論からは一歩踏み出して、自然権の保障を目的とするなどその内容は、[[啓蒙思想]]と一定の接点を有していたが、契約の一方当事者は王であり、既にある[[王政]]を必然的に正当化するための理論であった<ref>『社会契約論』229頁</ref>。
 
[[トマス・ホッブズ|ホッブズ]]は、自然状態では、諸個人は自然権を有していたが、[[自然法]]が十分に機能しなかったため、万人の万人に対する闘争状態が生じていたと仮定する。その上で、この闘争状態を克服するためにやむを得ず、諸個人が自然的理性の発現をさせて、自然状態で有していた自然権を一部放棄して社会契約を締結し、その契約に基づき発生した[[主権]]によって国家が成立したとみる。契約の当事者に王は含まれておらず、理論的には、王政、[[貴族政]]、[[民主政]]とも結びつき得る点で古典的社会契約論と異なる。その特徴である人の本性としての社交性と中世封建的な服従契約を否定し、近代的な[[個人]]の概念を社会契約の基礎に置いた点で革命的な発想の転換であったといえる。しかし、ホッブズは、主権は万能であるだけでなく、分割・譲渡不可能なものなので、社会契約によって王が一端主権を有することになった以上、これを変更することはできないとして王政のみならず、国王主権をも正当化した。
 
このようなホッブズの理論を批判しつつも、発展的に継承したのは[[ジョン・ロック]]と[[ジャン・ジャック・ルソー]]であるが、両者の論理展開の内容は相当に異なる。
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近代社会契約論は、[[イマヌエル・カント|カント]]、[[ヘーゲル]]らを経て、[[ロールズ]]らの現代的社会契約論に承継・発展されている。
 
日本において最初の社会契約論の紹介は、[[1882年]]、[[中江兆民]]によるルソーの主著『[[社会契約論]]』の部分訳である『民約訳解』の刊行であり、この訳書は[[自由民権運動]]に大きな影響を与えた。日本では、ホッブズ・ロック・ルソーの3者の理論を近代的な個人を基礎にするものとして国家が成立するまでの国家の正当性に関する理論として社会契約論を説明するのが通常であるが、そのような説明の仕方自体が戦後の日本固有の限定的な理解であると指摘する見解もある。
 
== 参考文献 ==