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→‎各教派における解釈: 分派にかんする記述について加筆
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公会議に関しては、キリスト教の各教派によってその重要性の解釈は異なっている。
 
*カトリック教会では、325年の第1ニカイア公会議から1962-65年の[[第2バチカン公会議]]までの21回の公会議を認めている。
 
*[[プロテスタント]]諸教会は([[宗教改革]]期以降の公会議はもちろんのこと)すべての公会議を認めているわけではないが、特に初期の数回の公会議の重要性は認識されている。
 
*[[正教会]]は基本的には787年の[[第2ニカイア公会議]](第7回公会議)までの7回の公会議のみを認めており、それ以降は西方教会の地方[[教会会議]]であると認識している(決議の有効性は認めず)。ただし、ローマカトリックでいう第17回公会議(特にフィレンツェにおける会期)には議論がある。正教会の代表者も参加し、東西分裂以後、一致を計った普遍的な公会議たるべく開催され、一時は合意に達したものの、正教会が承認できる内容ではなかったため最終的に合意は成立せず、会議後間もなく[[東ローマ帝国]]が滅亡してしまったために交渉自体も消滅。このため正教会側では第8全地公会(第8回目の普遍的公会議)とは認識されていない。
**なお、正教会では、自律した諸地方教会単位までの教会会議を便宜的に「地方公会」と呼ぶことがあり、これは使徒的な諸自律教会全体を包括する公会議を「全地公会」と区別される。現在でもローマ、コンスタンチノープル、ロシアなどの諸教会単位で行われる教会会議は地方公会であり、第1ニケアから第4コンスタンチノープル会議まで7回の会議のみが全地公会としての要件を満たした普遍的公会議(全地公会)であるとしている。
 
*近年出現した[[分派]]([[セクト]])またはキリスト教系新興宗教の大多数が、公会議の全ての権威や歴史的な信仰宣言をいっさい認めず、ことごとく“否定”する傾向がある。
なお、正教会では、自律した諸地方教会単位までの教会会議を便宜的に「地方公会」と呼ぶことがあり、これは使徒的な諸自律教会全体を包括する公会議を「全地公会」と区別される。現在でもローマ、コンスタンチノープル、ロシアなどの諸教会単位で行われる教会会議は地方公会であり、第1ニケアから第4コンスタンチノープル会議まで7回の会議のみが全地公会としての要件を満たした普遍的公会議(全地公会)であるとしている。
**彼らの主張を分析してみると、ほぼ例外なく、伝統的なキリスト教の主流派を「歴史の中で教会に悪魔が入りこんで堕落した」「中世の暗黒時代に背教と腐敗が入り込んだ」「人間の罪の結果または異教の介入によって教会が堕落し本来の姿から離れてしまった」「聖書に預言された堕落した背教の徴」「歴史的な教会改革運動は全て失敗であった」などと主張し、公会議の歴史的な決定事項や信仰告白を完全に否定する傾向がある。それらの大多数が、教祖的人物の受けたとされる啓示や、ほんの一握りの組織上層部の聖書理解や自分勝手な神学が強調されたり、ある種のカリスマ的な神秘体験が高調されたり、自らの宗教組織のみが神によって選ばれた地上の可視的な唯一の真理(救いの道)であるなどと主張するなど、独特の特徴がある。
 
== 公会議一覧 ==