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一方、そのころ「ヌーボー・グループ」とよばれる、若い世代で新しい芸術論を唱えるグループがいた。今西はその中の一人、評論家関川重雄の愛人・恵美子に接触。やがて'''本浦秀夫'''という一人の男にたどり着く。
 
本浦秀夫は、[[石川県]]の寒村に生まれた。父・千代吉が[[ハンセン病|ハンセン氏病]]に罹患したため母が去り、やがて村を追われ、やむなく父と[[巡礼]]姿で放浪の旅を続けていた。秀夫が7歳のときに父子は、[[島根県]]の[[亀嵩]]に到達し、駐在の善良な巡査・'''三木謙一'''に保護された。三木は千代吉を療養所に入れ、秀夫はとりあえず手元に置き、のちに地元の篤志家の元へ[[養子縁組]]させる心づもりであった。しかし、秀夫はすぐに三木の元を逃げ出し姿を消した。
 
大阪まで逃れた秀夫は、おそらく誰かのもとで育てられた、あるいは[[奉公]]していたものと思われる。その後、[[大阪市]][[浪速区]]付近が[[空襲]]に遭い、住民の[[戸籍]]が原本・副本ともに焼失した。当時18歳の秀夫は戸籍の焼失に乗じて、和賀英蔵・キミ子夫妻の長男・'''和賀英良'''として年齢も詐称し、新たな戸籍を作成した。