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更に[[1895年]]には、オイルを満たしたケースにギアセットを納める「密閉型ギアボックス」を備えた[[トランスミッション]]を実用化<ref>それ以前のギアセットは床下露出状態で砂塵に晒されており、騒音も酷く消耗も激しかった。</ref>、続いて車体前端への[[ラジエーター|ラジエター]]<ref>ラジエターはまだこの時点では、フィン付きのパイプを屈曲させただけの原始的設計だった。</ref>の設置や、丸ハンドルの導入など、現代にも通じる、自動車技術史上に残る重要な発明を成し遂げ、自動車の実用化、工業化に多大の貢献を行った。
この過程で、1895年から[[1903年]]にかけて多くの自動車レースにも勝利した。中でも1895年のパリ・[[ボルドー]]レースでの勝利は、既に52歳で若くなかったエミール・ルヴァッソール自身が2気筒パナールのハンドル(丸ハンドル導入前で、直進性の悪い梶棒であった)を握り、往復
=== 高級化と保守化、スリーブバルブへの固執 ===
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1953年には第二世代の[[パナール・ディナZ|ディナZ]]にモデルチェンジする。プレス加工容易なアルミ・[[マグネシウム]]合金「デュラリノックス」が実用化され、ボディに至るまでの内製が可能になったことによるものであった<ref>ディナXの車体生産が無くなって遊休設備を抱えたファセル・メタロン社はファセル・ヴェガを自社開発し、高級車市場に進出する。</ref>。
ディナZの特色は、ボディサイズと排気量の極端なアンバランスにあった。全長
それでも実用になった理由は驚異的な軽量さであった。ボディ・シャーシ全体いっさいをアルミ合金で構築し、当初はボディ装飾用のモールに至るまで全てアルミ製とした徹底的な軽量設計で、最初の[[1954年]]型では総重量わずか650kgという数値を実現、更に車体全体に丸みを帯びた空力スタイルを導入することで、
当時、イギリスの名門自動車雑誌「オートカー」は、ディナZについて「これほど峻厳に効率を追求した自動車はかつて例を見ない」と高い評価を与えた。オールアルミ合金の本格量産車としては最初の事例でもあり、その先進性・独創性によって後世からの歴史的評価も高い。
しかし、ルノーやシトロエンには生産規模で大きく水を開けられていたこともあり、ディナ系「X」「Z」各車の製造コストは非常に高かった。例えば850ccで
===シトロエン傘下入りと乗用車生産の終了===
[[Image:Panhard PL17 1964 front.jpg|thumb|250px|パナール PL17 1964。1960年代以降の末期パナールに共通する、ブレーキ冷却フィン付きホイールを備える]]
[[Image:07.02.10-Panhard 24 1ct.jpg|thumb|right|250 px|パナール 24 CT, 1966]]
慢性的な経営不振から、1955年以降は[[シトロエン]]の傘下に入り、一部工場では[[シトロエン・2CV]]の生産を分担して稼働率を維持するようになる。ディナZシリーズも[[1956年]]モデル以降、徐々に[[鋼|スチール]]製パーツの比率を高めるようになって重量増加、[[1960年]]以降はついに800kg超過のオールスチールボディとなって「PL17」と改称された。虎柄の内装を持つ高出力版「ティグル」(
最後のパナール乗用車となるのは[[1964年]]登場の[[パナール・24|24]]シリーズで、PL17と[[コンポーネント|コンポーネンツ]]を共用しながらも、明らかにシトロエンの息がかかったデュアルライトのスマートなボディを備えたモデルであった。特にフロントエンドには[[1967年]]以降の[[シトロエン・DS]]との共通性が強く、デザインの先行例であったことが伺える。新設計の2ドア[[セダン]](24B=ベルリーヌ)、2ドア[[クーペ]](24C=クーペ)は[[シトロエン・アミ]]6と[[シトロエン・DS|ID19]]の中間車種として、[[スペシャルティカー]]的位置づけを与えられていた。高出力版「ティグル」も引き続き存在し、それぞれ24BT・24CTと呼ばれ、4輪[[ディスクブレーキ]]が与えられた。
しかしニューモデルの投入をもってしても形勢挽回には至らず、[[1965年]]、[[シトロエン]]に乗用車部門を吸収され、1967年には一般向け乗用車の生産を終了、
=== 軍用車両メーカー ===
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