「ボブ・ジェームス」の版間の差分

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ジョーンズはジェームスを[[CTIレコード]]の創始者、[[クリード・テイラー]]に紹介、[[1971年]]にCTIと契約し、[[グローヴァー・ワシントン・ジュニア]]の"Inner City Blues"を皮切りに、[[ガボール・ザボ]]、[[ハンク・クロフォード]]、[[エリック・ゲイル]]などのアルバムでアレンジを担当。[[1974年]]にファースト・ソロ・アルバム''One''をリリース、CTIに計4枚のアルバムを残し、[[クロスオーバー (音楽)|クロスオーバー]]期の一躍を担う。この頃の彼の音楽性には[[クラシック]]的な要素が強かったが、[[ブラックミュージック|ブラック]]なフィーリングもあり、白人ピアニストでは稀有な存在であった。
 
[[1977年]]7月にCTIから離れ、[[スティーヴ・カーン]]のデビュー・アルバム「タイトロープ」を皮切りに、[[ケニー・ロギンス]]、[[エリック・ゲイル]]らのプロデュース活動を開始。中でもロギンスの「未来への誓い」や「ナイトウォッチ」、ゲイルの「ジンセン・ウーマン」、[[メイナード・ファーガソン]]の「征服者~ロッキーのテーマ」はジェームスの初期のプロデュース活動で最もヒットした作品である。
 
[[1980年]]に[[コロムビア・レコード|コロムビア]]/[[CBS]]傘下に自身のレーベル、[[タッパンジー・レコード]](Tappan Zee Records)を発足。名前はニューヨーク州のウェストチェスター郡とロックランド郡を繋ぐ、ハドソン川に架かる[[タッパン・ジー・ブリッジ|橋]]に由来する。このレーベルにおいて彼は"Heads"、"Touchdown"などのソロ作や、[[リチャード・ティー]]、[[ウィルバート・ロングマイヤー]]、[[カーク・ウェイラム]]らのプロデューサーとしても活躍し、フュージョンおよびアダルト・コンテンポラリー全盛期の先端