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== 甲州財閥の盛衰 ==
甲斐国では近世に[[甲府城|甲府城下町]]が発達し、[[甲州街道]]や[[富士川|富士川舟運]]をはじめとする諸街道・物流網が成立し商業が展開される。甲府城下町(新府中)では八日町([[甲府市]][[中央 (甲府市)|中央]])を中心に[[大店]]を構える有力商人が出現し、一方で在方においても[[養蚕]]や[[タバコ|煙草]]、果樹栽培など商品作物の栽培が行われ、[[農間余業]]として[[行商]]を行う商人が出現した。また、富士川舟運では[[廻米]]輸送を行う下げ荷として塩などの物産を移入しており、これに携わる有力商人が存在していた。
 
安政6年(1859年)[[横浜港]]が開港されると、甲州屋忠右衛門(篠原忠右衛門)、川手五郎右衛門、若尾逸平ら投機商が出現し、彼らは横浜に店を構え[[蚕糸]]や果樹など甲州物産を輸出し財をなした。忠右衛門らはその後養蚕恐慌により没落するが、若尾逸平らは新興町人として成長し、彼らはいずれも甲府町方の商人に対して在方に出自をもっている。