削除された内容 追加された内容
国際連合憲章第9章、第55条について
16行目:
 
===インフレーションからのアプローチ===
[[1968年]](あるいは67年)、[[マネタリスト]]学派の主唱者[[ミルトン・フリードマン]]は、[[エドモンド・フェルプス]]とともに独自の完全雇用失業率の概念を創出し、これを'''自然失業率'''と名付けた。もっとも、この自然失業率は経済が規範的な目標として目指すべきものとは考えられていない。フリードマンらが主張するのは、完全雇用状態を得ようとするのではなく、政策担当者はまずインフレ率を安定化させる(非常に低いレベル、あるいはゼロに)ことに努力すべきだ、ということである。もしそういった経済政策が維持可能なものであったならば、失業率は次第に「自然」失業率まで低下するだろう、というのがフリードマンの説である。
 
フリードマンの考えはマクロ経済学に大きな影響をもたらし、現在では完全雇用とは、ある所与の経済構造の下で維持可能な最低レベルの失業率を指すことが多くなった。これはこの用語を最初に用いた[[ジェームズ・トービン]]にならって'''[[インフレ非加速的失業率]]'''({{enlink|NAIRU|p=off|s=off}}=Non-Accelerating Inflation Rate of Unemployment)と呼ばれる。概念としては自然失業率と同一であるが、経済には自然なものは何一つない、という立場から「自然」の言葉を避けているともいえる。完全雇用状態にあっては、循環的(あるいは労働需要不足による)失業は存在しない。もし経済が数年にわたってこの「自然」失業率あるいは「インフレ[[しきい値|閾値]]」失業率以下で推移するならば、インフレは加速するはずである(賃金および物価に関する外的統制がない前提で)。逆に、もし失業率がこのレベル以上で長期間推移するならば、インフレは沈静化するはずである。こうして、インフレ率が上昇も下落もしないような失業率としてNAIRUは導出されるのである。そこで一経済のNAIRUの絶対的な水準は、労働市場における供給側の要因に依存しているといえる。構造的失業、摩擦的失業といった要因がそれである。
 
フリードマンとフェルプスよりはるか以前、[[1951年]]に[[アバ・ラーナー]]はある種のNAIRUの概念を提唱していた。現在のNAIRUの考えと異なっている点は、彼は完全雇用失業率としてある一定の範囲を考察していた点である。彼は'''高い'''完全雇用失業率すなわち「[[所得政策]]が存在する下で維持可能な最小レベルの完全雇用失業率」と'''低い'''完全雇用失業率すなわち「そのような政策が存在しない下での失業率」を区別していた。