「コンテ・ヴェルデ (客船)」の版間の差分

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'''コンテ・ヴェルデ'''は1920年代から40年代にかけて運航された[[イタリア]] 船籍の[[客船]] である。第二次世界大戦中に日米[[交換船]]として傭船された。姉妹船は'''コンテ・ロッソ'''。
 
船名は[[サヴォイア伯|サヴォイア伯]]アメーデオ6世 (1334-1383)に因む。 (アメーデオ6世は緑色の装束を好んだことからコンテ・ヴェルデ(緑の伯爵)と呼ばれた。)
1923年,[[スコットランド]]・ダルムイエのウィリアム・ビアードモア・アンド・カンパニー造船所にて竣工。18,761総トン。<ref>[http://www.theshipslist.com/ships/lines/italia.htm ''The Ships List''], Retrieved 2008-02-19</ref>
 
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== 大西洋航路時代 (1923-1932) ==
運航開始は1923年4月21日で,[[ジェノヴァ]]を出航して[[ブエノスアイレス]]へ向かった。同年6月13日,[[ニューヨーク]]へも航海している。同船はイタリア海運業界初の本格的な豪華客船であり,戦間期の欧州で繰り広げられた客船建造競争の嚆矢であった。また,ロイド・サバウドを代表する3客船,コンテ・ヴェルデ (緑の伯爵),姉妹船コンテ・ロッソ (赤の伯爵),後継船コンテ・ビアンカマノ (白い手の伯爵)は,イタリアの三色旗を象徴していた。

1930年には[[1930 FIFAワールドカップ|FIFAワールドカップ・ウルグアイ大会]]に参加する欧州選手団を輸送している。当時,欧州~南米横断には2週間を要し,欧州選手団は参加を躊躇したが,フランスサッカー連盟会長ジュール・リメ (1873-1856)の説得により,フランス,ベルギー,ルーマニアの選手団がコンテ・ヴェルデで大西洋を渡った。<ref name=FIFA1930>[http://www.fifa.com/worldcup/archive/edition=1/index.html FIFA World Cup 1930] - Official FIFA World Cup web site</ref>
 
この他,コンテ・ヴェルデに乗船した著名人としては,ロシア人オペラ歌手[[フョードル・シャリアピン]],アメリカ人女優[[ジョセフィン・ベーカー]]などがいる。また[[サンフランシスコ]]の有名店カフェ・トリエステの創業者ジョヴァンニ・ジョッタは,同船の乗組員であった。<ref>[http://www.istrianet.org/istria/people/biographies/giotta/giotta1.htm Giovanni Giotta & Kristen Jensen, “Giovanni Giotta---Song of the Fisherman”]</ref>