「ノヴォデヴィチ女子修道院」の版間の差分

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== 歴史 ==
=== モスクワ大公国時代 ===
[[ファイル:Moscow 05-2012 Novodevichy 01.jpg|thumb|250pxleft|修道院内のスモレンスクの[[生神女]]大聖堂]]
[[File:Novodievivhi-p1030369.jpg|thumb|250px|水辺にある修道院の全景]]
[[File:Moscow 05-2012 Novodevichy 27.jpg|thumb|left|200px|鐘楼]]
[[1524年]]に、ノヴォデヴィチ女子修道院は創建された。モスクワ大公・[[ヴァシーリー3世]]の命によって、建設が開始されたこの修道院は、[[1514年]]に、[[スモレンスク]]が[[モスクワ大公国]]に併合されたことを記念して建てられた。修道院は、[[モスクワ川]]の湾曲部における要塞([[クレムリ]])の役割を果たしていた。これは、他の修道院も同じような役割を持っていた。創建の際に、3,000ルーブルと2つの村が修道院に与えられた。[[イヴァン4世]]の時代には、さらに複数の村が寄進されている。
 
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=== 帝国時代 ===
[[File:Moscow 05-2012 Novodevichy 27.jpg|thumb|left|200px|鐘楼]]
[[17世紀]]の半ばには、[[ウクライナ]]や[[ベラルーシ]]のほかの修道院から多くの修道女がノヴォデヴィチ女子修道院に移ってきた。[[1721年]]には、[[古儀式派]]を殺害した老修道女の複数名が女子修道院に避難してきたこともある。
 
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== 建築物 ==
[[ファイル:Novodevichy Convent 2.jpg|thumb|200px|スモレンスクの生神女のイコンに捧げられた「スモレンスクの生神女大聖堂」]]
この修道院の最も重要な建造物は、[[1524年]]から[[1525年]]にかけて建設されたスモレンスキクの[[生神女]]大聖堂である。6本の柱と5つのドーム屋根によって構成されている。[[ロシア建築]]に特有の中央の切妻屋根は、イヴァン4世の時代に建設された。