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'''砲弾'''(ほうだん、shell,cannonball)は、[[大砲]]に使用される[[弾丸]]のこと。複数の種類が存在し、目標・目的によって使い分けられる。[[陸上自衛隊]]の定義では「口径20mm以上の弾丸」のことで、それ未満のものを小火器弾薬とする。
 
[[日本語]]の「砲弾」の場合は大砲用の弾丸を広く含めるが、[[英語]]の“shell”は、本来は[[炸薬]]が詰まった種類のもののみを指し、炸薬が詰まっていない弾丸については“shot”と呼び分けていた。現在では炸薬の入っていない徹甲弾のようなものも、“shell”と呼んでいる。なお、[[1868年]]の[[サンクトペテルブルク宣言]]<!--「サンクト・ペテルブルク」が条約名としては用例多数のようだが、地名項目名に合わせる。-->は、小口径の弾丸には炸薬を詰めることを制限しており、「量目400g以下」かつ「爆発性または燃焼性の物質を充てたる発射物」の使用を締約国間のみの[[戦争]]では禁止している。
 
[[画像:Shell.jpg|thumb|300px|right|砲弾]]
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== 歴史 ==
[[ファイル:Boshin War mortar.jpg|thumb|[[戊辰戦争]]で使われた[[臼砲]]と砲弾。]]
初期の砲弾は、運動エネルギー弾が中心であった。その理由は、当時使われた[[黒色火薬]]は[[炸薬]]に用いるには安定性が低く、信頼性のある[[信管]]も実用化されていなかったからである。比較的薄肉・中-長砲身の砲で使える砲弾は、無垢の実体弾(円弾、砲丸)・[[ぶどう弾]]・散弾・[[焼玉式焼夷弾|焼玉]]などに限られていた。炸裂する砲弾が初めて文献に現れるのは、[[中国]]の[[明]]朝(1368([[1368]] - [[1644年]])初期の『[[火龍經]]』という軍事マニュアルである。[[焦玉]](14([[14世紀 ]]- [[15世紀]]初め)と[[劉基]](1311([[1311]] - [[1375年]])が書いたもので、焦玉が後に追加した序文は[[1412年]]のものである<ref name="needham volume 5 part 7 24 25 264">Needham, Joseph. (1986). Science and Civilization in China: Volume 5, Chemistry and Chemical Technology, Part 7, Military Technology; the Gunpowder Epic. Taipei: Caves Books Ltd. Page 24&ndash;25, 264.</ref>。その本にあるように、火薬を詰めた中空の砲弾は[[鋳鉄]]製だった<ref name="needham volume 5 part 7 24 25 264"/>。
 
[[ヨーロッパ]]で炸裂する砲弾が一般化するのは[[16世紀]]中ごろのことである<ref>Cowley, Robert (1996). ''The Reader's Companion to Military History''. Boston: Houghton–Mifflin Company. Page 49.</ref>。石や鋳鉄でできた中空の砲弾に[[火薬]]を詰めたもので、時限信管の役目を果たすゆっくり燃える部分と[[爆轟]]する部分があり、[[臼砲]]を使って発射した。発射時の瞬間的な火が信管に燃え移り、一定時間後に内部の火薬が爆轟する仕組みだった。実際には信管に火がつかないことがあり、炸裂までの時間もうまく調整できないことが多かった。
 
その後、砲弾にはゆっくり燃える火薬を詰めた鋳鉄または[[]]製のプラグが装備された。砲弾の発射時に信管に点火する可能性はあるが、手で信管に点火してから発射する方が信頼性が高かった。その場合、砲手が信管に点火してから射線から避ける時間を短くするために[[マズルローダー]]式の砲身が十分短くなければならなかった。砲身が短いために[[砲口初速]]が小さくなり、[[弾道]]を高くする必要があった。このような砲として、[[迫撃砲]]や[[榴弾砲]]があった。
 
[[ファイル:Paixhans Shell and Sabot.jpg|thumb|left|[[ペクサン砲]]で使われた装弾筒つきの砲弾(1824年)]]
[[ファイル:Shell Japan.jpg|thumb|right|[[戊辰戦争]]で使われた[[四斤山砲]]弾。ライフリングに合うようスタッドが付いている。]]
[[1823年]][[フランス]]の将校である[[アンリ=ジョセフ・ペクサン]]([[:en:Henri-Joseph Paixhans]])が、低い弾道の[[カノン砲]]([[ペクサン砲]])で発射できる炸裂する砲弾を発明した。[[1840年代]]以降、各国の海軍がこの砲を採用し、そのために被弾時に燃えやすい木造軍艦の時代が終わり、[[造船]]における[[]]製[[船体]]への移行が起きた。[[1871年]]までは、鋳鉄製の球形の弾丸が通常弾として使われていた。そのころには、不発弾を防ぐために、着発信管がきちんと目標に向くよう砲弾に[[装弾筒]] (サボ) と呼ばれる木製の円盤を銅の[[リベット]]で取り付けて装填するようになった。また装弾筒はまた、砲弾が真っ直ぐ発射されるのを補助する役目もあるとされていた。ただし、臼砲の砲弾には装弾筒は使われなかった。
 
[[19世紀]]後半、[[ライフル砲]]が実用化されると、球形ではなくて椎の実型の砲弾(長弾)が使われるようになった。[[ライフリング]]自体は15世紀に考案されていた技術であるが、大砲への実用はこの頃であった。ライフリングとうまく噛み合わさるような砲弾の構造が研究され、[[鉛]]や[[]]などの柔らかな金属でできた覆帯を巻いてライフリングが食い込むようにする方式([[鉛套弾]])や、筍翼(スタッド)を表面にとりつけて溝にはめ込む方式が実用化された。
 
19世紀末まで砲弾には[[鋳鉄]]が使われていた。[[鋼]]はまず[[徹甲弾]]に使われ、その後、高速な砲で使われるようになった。鋳鉄では高速砲の発射時の衝撃に耐えられないためである。
 
[[ファイル:75mm melanite shell section for instruction.jpg|thumb|left|[[ピクリン酸|メリニット炸薬]]を使った [[M1897 75mm野砲]]用の砲弾]]
この間に特殊な砲弾も開発された。照明弾(星弾)は[[17世紀]]には実用化されていた。[[イギリス軍]][[1866年]][[パラシュート]]付きの照明弾を10インチ砲、8インチ砲、5.5インチ砲用に導入した。この10インチ砲用の照明弾は、実に[[1920年]]まで公式には制式装備とされていた。
 
[[第一次世界大戦]]時、[[榴散弾]]や[[榴弾]]が歩兵に甚大な被害を与えた。戦死者の70%はそれらの砲弾によるものである。このため、鋼鉄製の[[ヘルメット]]が標準装備になっていった。[[1917年]]には、[[化学兵器|毒ガス]]を詰めた砲弾が使われ始めた。このころには砲弾の信頼性はまだ低く、砲弾が炸裂しなかったせいで戦況に影響を与えたこともある。不発弾が大きな影響を与えた戦例としては、[[1916年]]の[[ソンムの戦い]]を挙げることができる。
 
== 関連項目 ==