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== 終結 ==
共和国が成立してもスペインとの戦争は終わらなかった。ネーデルラント連邦共和国は[[1602年]]、連合東インド会社([[オランダ東インド会社]])を設立してアジアに進出し、[[ポルトガル王国|ポルトガル]](1580年からスペインと[[同君連合]])から[[香料]]貿易を奪取して、世界の海に覇を唱えた。このため貿易の富が[[アムステルダム]]に流入して、[[17世紀]]の共和国は黄金時代を迎えることとなる。
 
[[Image:Velazquez-The Surrenderof Breda.jpg|thumb|right|220px|[[ディエゴ・ベラスケス]]作「[[ブレダの開城]]」]]
[[1609年]]にはスペインとの12年停戦協定が結ばれた。[[1621年]]に停戦が終わると、独立戦争はヨーロッパ全体を巻き込んだ[[三十年戦争]]([[1618年]] - [[1648年]])にもつれ込んだ。
 
[[三十年戦争]]で[[ブレダ_(オランダ)|ブレダ]]はスペイン軍に2度にわたり蹂躙された。[[1624年]] - [[1625年]]、ロス・バルバセス候[[アンブロジオ・スピノラ]]率いる[[スペイン]]軍が侵攻し、[[マウリッツ (オラニエ公)|オランニェ公マウリッツ]]率いるオランダ軍が守る[[ブレダ_(オランダ)|ブレダ]]を包囲した('''[[:en:Siege_of_Breda_(1624)|第三次ブレダの戦い]]''')。有名な[[ディエゴ・ベラスケス]]の名画『[[ブレダの開城]]』には、攻城戦を指揮した[[アンブロジオ・スピノラ]]にブレダ守備隊の司令官であった[[:en:Justinus van Nassau|ユスティヌス・ファン・ナッサウ]]([[ウィレム1世 (オラニエ公)|オラニエ公ウィレム1世]]の庶子)が城門の鍵を渡してスペインに降伏する場面が描かれている。[[1637年]]、[[フレデリック・ヘンドリック (オラニエ公)|オラニエ公フレデリック・ヘンドリック]]による'''[[:en:Siege_of_Breda_(1637)|第四次ブレダの戦い]]'''によってブレダは解放された。
 
[[1648年]]、三十年戦争を終結させた[[ヴェストファーレン条約]]で、ブレダは正式に[[ネーデルラント連邦共和国]]に加わった。ヴェストファーレン条約の一部であるミュンスター条約でスペインはネーデルラント連邦共和国の独立を正式に承認し、ようやく80年にわたる戦争が終結した。
 
== 脚注 ==