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[[画像:Hansekogge Bremerhaven uf.jpg|right|250px|thumb|コグ船の発掘物から再構築したもの]]
'''コグ船'''(こぐせん、英: cogs, cog-built vessels)は、[[12世紀]]頃から広く使われた船である。コグ船は一般に[[バルト海]]沿岸地方で豊富な木材であった[[オーク]]で造られた。この船は一本[[マスト]]で一枚の横帆を備えたものであった。この横帆のみの装備では風上に向かって帆走することはできなかったが、乗組員が少なくても操船でき、運航費用を下げることができた。この船は[[中世]][[ヨーロッパ]]の特にバルト海での主に海上貿易に使われた。
 
== 構造 ==
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== 歴史 ==
[[画像:Stadssigill_foer_staden_Luebeck.png|150px|thumb|left|[[リューベック]]のシール。小さすぎるコグ船に乗っている]]
コグという呼び方は[[948年]]に[[アムステルダム]]の近くのムイデン(''[[:en:Muiden]]'')で初めて使われている。初期のコグ船は、当時の[[北ヨーロッパ|北欧]]で貿易船の主力であった[[ノルウェー]]の[[クナール]]の影響を受けていた。ただし、クナールは舵取り用のオールを用いており、[[1240年]]頃までは北欧で舵を使ったという史料はない。<ref>[http://www.abc.se/~m10354/mar/cog.htm Description and pictures of cogs]</ref>
 
現代の考古学的史料によれば、最初期のコグ船は[[ユトランド半島]]西部の[[フリースラント]]沿岸で作られた可能性が高い。コグ船を実際に海上貿易に転用するようになったのは、ヨーロッパの東西で活発に交易が行われた時期だけではなく、[[リムフィヨルド]]の西側入り口が[[砂州]]により閉塞されたことに直接の答えを求めることができる。何世紀もの間、ユトランド半島北部のリムフィヨルドは[[北海]]とバルト海を結んでかなり安全な航路を提供していた。その西端部にある北海側の口では、潮流などにより砂州が発達し、その水路は砂で埋められ、12世紀頃までには完全に閉塞された。この変化に対し人々は新たなことを始めた。[[砂州]]上を牽引によって通過することができない大型の船はユトランド半島を北へ、危険なスカゲン(''[[:en:Skagen]]'')岬を巡りバルト海に向かうことになった。このことはそれまでの船の構造に大きな変化をもたらした。それは最初期のコグ船発掘物''Kollerup'', ''Skagen'', および ''Kolding''の変遷を分析することで分かる。