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調理に際しては米との比率を好みによって調製する。麦を多くするほど米に由来する飯の粘り気が少なくなり、固い食感となる。麦は炊き上げるのに米よりも多くの水が必要なため、麦の量が増えるにしたがって米のみの場合よりも水を多めにする。
 
大麦は世界的には[[粗挽き]]にして[[粥]]に炊く、炒ったものを粉にして熱湯や[[茶]]で練る、発芽させて[[麦芽]]とし、これを乾燥、粉砕して[[パン]]の材料や[[醸造]]原料とするという利用法が主体である。米と同様に粒の状態で炊飯する食べ方は、[[日本]]以外では[[朝鮮]]でみられる<!--程度で他にあまり例がない-->。[[ヨーロッパ]]では、大麦のみ、または大麦と米を混ぜて[[ピラフ]]として炊いたものなどがみられる。
 
== 歴史 ==
日本では近現代になるまで、都市部以外では米だけの飯は[[神饌]]的な位置づけであり、[[祝祭]]時のみ炊かれるものだった。日常食は「かてめし」といって米に他の[[穀物]]や[[野菜]]、[[海草]]などを加えて共に炊飯したもの、あるいは[[]]、[[ヒエ||稗]]など米以外の穀物のみを炊飯したものが普通だった。麦飯はそうした日常食のひとつだが、今日では[[健康食品]]、あるいは[[麦とろご飯]]、[[牛タン|牛タン定食]]、[[水軍鍋]]など特に麦飯と相性のよい食味を持つ献立に添えて好んで食べられるように変化した。健康食品として食べられるのは、大麦は米と比べて[[食物繊維]]、[[タンパク質]]、[[ビタミン]]を多く含むためである。
 
大麦は米に比べて煮えにくい。近代に蒸気をかけながら押しつぶし、火が通りやすく加工された「押し麦」が開発されるまでは、大まかに砕いた「挽き割り麦」か、「えまし麦」といわれるものを米に混ぜ込んで炊いた。これは数日分の精白大麦、すなわち丸麦を一度煮て、茹で汁とともにまま冷ましたもので、火が通って割れた麦粒を笑顔にたとえ「笑まし」と呼ぶ。使うときは茹で汁から引き揚げて洗い、研いだ米とともに炊く。麦の茹で汁は、[[洗濯糊]]として使われた。
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== エピソード ==
麦飯は、かつては[[]]より食味で劣り、かつ安価で流通していたため、粗食であり、貧民の食物という社会的な観念があった。そのため[[吉田茂]]内閣の[[池田勇人]]大蔵大臣が「貧乏人は麦を食え」と発言し新聞種になるなどの事件があった。<ref>池田は「所得に応じて、所得の少い人は麦を多く食う、所得の多い人は米を食うというような、経済の原則に副つたほうへ持って行きたいというのが、私の念願であります」と締めくくったが、これが吉田政権に対して厳しい態度を取っていた新聞を刺激した。 翌日の朝刊は「貧乏人は麦を食え」という見出しで池田の発言を紹介、これが池田自身の発言として伝わり、各方面から強い批判を受けることになった。</ref>
 
しかしその優れた栄養価から、支配的階級の人物にあって麦飯を食していた人物も少なくなく、[[徳川家康]]や[[昭和天皇]]は生涯、麦飯を主食として食し続けたことで知られている。ちなみに徳川家康も昭和天皇も、長寿であり生涯を通して健康体の持ち主であった。
 
[[2005年]][[8月]]に[[秋田市]]で開催された第46回日本人間ドック学会学術大会に於いて、[[糖尿病#2型糖尿病|2型糖尿病]]患者の[[血糖値]]が服役中に著明に改善したと発表された。福島刑務所医務課の日向正光氏は、受刑者の栄養摂取量が[[日本人]]の平均と同等以上であることや、運動量がそれほど多くはないのにも拘らず、[[インスリン]]で治療していた17人のうち5人が注射をやめることができ、経口血糖治療薬で治療していた34人についても17人が服薬を中止できた事を踏まえて、刑務所の主食が今どき珍しい“麦飯”であることに着目した。米7麦3のご飯を毎日食べることで、[[食物繊維]]、とりわけ水溶性の食物繊維の摂取量が多くなり、糖代謝の改善につながったのではないかと考えた。受刑者は平均的日本人男性の2倍の食物繊維を摂取し、水溶性食物繊維に至っては、5倍も摂っているという。日向氏は、「規則正しい生活習慣と麦飯などの高食物繊維食で、十分な糖尿病の治療効果がもたらされる可能性がある」として発表を締めくくった。
 
== 脚注 ==