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Yy719 (会話 | 投稿記録)
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|ドラフト順位 = ドラフト5位
|初出場 = 2001年9月30日
|最終出場 = 2012年5月19日
|年俸 =
|経歴 = <nowiki></nowiki>
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===オリックス時代===
入団直後に即1昇格し、5月4日の古巣ホー・ソフトバンス相手に戦で代打出場しヒットていきなり安打を放つなど、移籍後は打撃好調で出場機会に恵まれたを増やしていく。交流戦では主に2番ライトまたはレフトとして起用され、交流戦で打率.379をマークし交流戦優勝の原動力となり、その後も[[6月22日]]のロッテ戦にはチームではイチロー以来となる3打席連続二塁打、3打点の活躍を見せるなど、6月は月間打率6月.316、7月.300とレギュラーを手中にしかけていた。だが、8月に入ると途端に打撃で精彩を欠くようになり、[[森山周]]や[[フランシスコ・カラバイヨ]]の台頭もあり二軍降格も味わった。最終的に打率は.269となったが、いずれも自己最多の47安打、16二塁打、3本塁打の成績を残した。
 
オフには背番号を'''50'''から同年に引退した[[塩崎真]]が付けていた'''31'''に変更された。[[2011年]]は、開幕こそ二軍スタートだったが、6月11日に一軍登録。同日の[[読売ジャイアンツ|巨人]]戦でスタメン出場を果たすと、[[内海哲也]]から本塁打を放った。その後も左投手が先発する試合でスタメン出場するケースが多かったが、7月3日の古巣・ソフトバンク戦では、9回裏に同点に追いついた直後に[[李承ヨプ (野球)|李承燁]]の代打で出場し、[[森福允彦]]から自身7年ぶりにサヨナラ打を放ち、このカードの同一3連勝を劇的な形で締めた。また、このサヨナラ打で、前日の[[鈴木郁洋]]・同月5日の[[赤田将吾]]と共に、球団史上初の3試合連続サヨナラ勝ちに貢献した。しかし、その後は打撃がふるわず、打率.205、2本塁打8打点に終わった。
 
[[2012年]]は同じ右打ち外野手の新人の[[川端崇義]]がレギュラーを掴み、またシーズンでの[[ボビー・スケールズ]]の補強が加入した事もあり出場機会に恵まれず、5月中旬に3試合の出場で二、2安打のみに終わり、10月4日に戦力外通告を受けた<ref>{{Cite web |date=2012-10-04 |url=http://www.buffaloes.co.jp/news/detail/2687.html |title=戦力外通告のお知らせ |publisher=オリックスバファローズオフィシャルサイト |accessdate=2012-10-04}}</ref>。
 
=== 引退後 ===
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== プレースタイル・人物 ==
強肩を生かした守備で、ホークスではポスト[[秋山幸二|秋山]]と期待されたが、目立った活躍をできないまま、バファローズへ移籍となった。入団会見では、「ここが最後の球団と思って腹をくくって頑張りたい」と語った。
 
入団会見では、「ここが最後の球団と思って腹をくくって頑張りたい」と語った。
 
ホークス時代の流麗なメロディの応援歌は人気が高く、バファローズに移籍してからも使用されている。移籍後初打席時([[2010年]][[5月4日]]、対ホークス戦)にヒットを打ち出塁した際には、相手のホークスファンからも喝采を浴びていた。
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* 初盗塁:2003年5月17日、対[[埼玉西武ライオンズ|西武ライオンズ]]7回戦([[西武ドーム]])、10回表に二盗(投手:[[森慎二]]、捕手:[[細川亨]])
* 初打点:2004年6月20日、対[[千葉ロッテマリーンズ]]14回戦([[千葉マリンスタジアム]])、4回表に[[高木晃次]]から左前適時打
* 初本塁打:2004年7月18日、対[[大阪近鉄バファローズ]]19回戦([[大阪ドーム]])、8回表に[[小池秀郎]]から左越ソロ
 
=== 背番号 ===