「テオドリック (東ゴート王)」の版間の差分
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== ディートリッヒ伝説 ==
[[Image:Dietrich and Siegfried.png|thumb|火を噴き始めるディートリッヒ対ジークフリート。</br>{{small|『[[ヴォルムスの薔薇園]]』の写本の挿絵(15世紀)。[[ハイデルベルク大学]]図書館所蔵Cod. Pal. germ. 359写本第49葉表}}]]
中世ドイツの叙事詩『[[ヒルデブラントの歌]]』、『[[ニーベルンゲンの歌]]』などに登場する人物「ディートリヒ・フォン・ベルン」は、
ブリタニカ百科事典(1911年)によれば、「ディートリッヒの伝説は様々な点でテオドリックの生涯と異なっている。これは、ディートリッヒの伝説が、元来はテオドリックとは別のものであったことを示唆している。」と記述し
ディートリッヒの物語はいくつか現存しておリ、これらのものは口承で伝えられてきたと考えられる。ディートリッヒが登場する最古の物語は『ヒルデブラントの歌』と『ニーベルンゲンの歌』であるが、いずれにおいてもディートリッヒは主要な人物としては描かれていない。
ディートリッヒの伝説で最古のものである『[[ヒルデブラントの歌]]』は820年ころに記録されている。作中、ハドゥブラントは、父親の[[ヒルデブラント]]が、[[オドアケル]]の手から逃れるため、ディートリッヒとともに東方に向かったことを語っている。このように、ディートリッヒ自体はヒルデブラントの物語では背景的に名前が出てくる程度ではあ
『[[ニーベルンゲンの歌]]』において、ディートリッヒは[[フン族]]の王・エッツエル(アッティラ)の宮廷で亡命生活をおくるという設定になっている。作中、ディートリッヒは[[ブルグント族]]との戦争においてエッツエル側として参加するが、ヒルデブラントを除く家臣をことごとく戦死させてしまっている。最終的には、ブルグントの戦士・ハゲネとギュンターを一騎打ちで打ち破り、捕虜にすることで戦争を終わらせる活躍をした。
[[スカンディナビア]]のサガはディートリッヒの帰還を扱っている。最も有名なものは、13世紀にアイスランド人かあるいはノルウェー人の作者が[[ノルウェー語]]で編集した『[[シズレクのサガ]]』である
[[Image:Dietrich_fängt_den_Zwerg_Alfrich_by_Johannes_Gehrts.jpg|thumb|right|ドワーフを生け捕りにするディートリッヒ Johannes Gehrts画(1883年)]]
13世紀に書かれた『ベルンの書』(Buch von Bern)によれば、ディートリッヒはフン族の力を借りて王位を取り戻そうとしたことが書かれている。
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