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[[慶応]]3年([[1867年]])12月の[[王政復古 (日本)|王政復古]]で太政官が廃絶すると、大納言の官職も消滅した。しかし、その後、新政府が数次の改組を続けるなかで、[[明治]]2年([[1869年]])7月に、二官六省から成る政府が組織されて[[太政官#明治維新の太政官|太政官]]の名称が復活し、そのなかで大納言の名称を持つ官職が復活した。新設の大納言には[[岩倉具視]]と[[徳大寺実則]]が就任している。明治4年([[1871年]])7月には太政官がさらに三院八省に改組されると、これにともなって大納言の官職は最終的に消滅した。
 
'''大納言の辞令の例'''
 
※(口宣案) 羽柴秀吉の例 「木下家文書」<br />
上卿 甘露寺大納言<br />
天正十二年十一月廿一日 宣旨<br />
參議平秀吉朝臣<br />
宜令任權大納言<br />
藏人頭左近衞權中将藤原慶親奉<br />
 
(訓読文) 上卿 甘露寺大納言(甘露寺経元 50歳 正二位) 天正12年(1584年)11月21日 宣旨 参議平秀吉朝臣(羽柴秀吉 49歳 従三位) 宜しく権大納言に任ぜしむべし、蔵人頭左近衛権中将藤原慶親(中山慶親 19歳 正四位上)奉(うけたまは)る
 
※(宣旨) 徳川家康の例 「日光東照宮文書」<br />
從二位行權中納言源朝臣家康<br />
正二位行權大納言藤原朝臣晴豐宣<br />
奉 勅件人宜令任權大納言者<br />
天正十五年八月八日<br />
掃部頭兼大外記造酒正中原朝臣師廉奉<br />
 
(訓読文) 従二位行権中納言源朝臣家康(徳川家康 46歳) 正二位行権大納言藤原朝臣晴豊(勧修寺晴豊 44歳)宣(の)る、勅(みことのり)を奉(うけたまは)るに、件人(くだんのひと)宜しく権大納言に任ぜしむべし者(てへり)、天正15年(1587年)8月8日 掃部頭兼大外記造酒正中原朝臣師廉(押小路師廉 61歳 正四位上)奉(うけたまは)る
 
 
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