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[[9月21日 (旧暦)|9月21日]]に越後府(第1次)は'''新潟府'''に改称された。柏崎県(第1次)の設置により「府」の管轄区域が越後北半の4郡に限られるとともに、[[11月19日 (旧暦)|11月19日]]の新潟開港を控えて、府庁を新潟町に置いて内政と外交を一括して掌握する方針が定められたことによるものと考えられている。ただし、改称後も「新潟府」と「越後府」は混同して用いられ、現地では「越後府」の名称の方が一般的であったらしい。
 
[[11月2日 (旧暦)|11月2日]]、柏崎で新潟府(旧第1次越後府)知事であった[[四条隆平]]と柏崎県(第1次)知事[[久我維麿]]との間の事務引継ぎが完了して柏崎県(第1次)が実質的に分離し、[[11月7日 (旧暦)|11月7日]]、四条とともに新潟府の本庁は[[長岡市|長岡]]に移転した。
 
この間の越後・[[佐渡国|佐渡]]両国に対する政府の方針は一定せず、[[10月28日 (旧暦)|10月28日]]には四条新潟府知事を罷免して、当時総督府本営参謀として[[新発田市|新発田]]に滞在していた[[西園寺公望]]を新たな知事に任命した。[[11月5日 (旧暦)|11月5日]]には久我柏崎県知事を罷免、同県を廃して新潟府へ合併すること、また[[佐渡県]](知事・[[井上馨]])も新潟府の当分管轄とする布達が行われている。