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[[京都大学]]出身者が[[学閥]]を組んで経営の中心となっていた阪神電鉄の中で、高商卒の小津氏はまさに「叩き上げ」で出世していく。[[1970年]]に阪神電鉄取締役に就任し、[[1978年]]には専務取締役になった。そして同年[[10月11日]]、この年球団創設以来初の最下位に終わったタイガースを再建すべく、兼務する形で阪神球団社長に就任した。
 
就任するとすぐにチームの大改革を断行。球団初の外国人監督・[[ドン・ブレイザー]]を招聘し、新生[[西武ライオンズ]]との間で、[[田淵幸一]]・[[古沢憲司]]を放出し、[[真弓明信]]、[[若菜嘉晴]]、[[竹之内雅史]]、[[竹田和史]]を獲得する交換[[トレード]]を行った。とくに「[[ミスタータイガース]]」と呼ばれた長年の看板選手・田淵へのトレード通告が深夜に行われたことで、プロ野球ファンや世間に衝撃を与えた。<ref>[http://sankei.jp.msn.com/west/west_sports/news/111210/wsp11121011010002-n1.htm 横暴巨人、朗報阪神が…謎だらけ「空白の1日」 江川騒動]</ref>
 
そして、順番は前後するが「空白の一日」を利用して[[読売ジャイアンツ|巨人]]入りを発表し、契約が無効となって、巨人がドラフトをボイコットすることで身分が宙に浮いた[[江川卓 (野球)|江川卓]]を一位指名。抽選によって交渉権を獲得し、入団後即[[小林繁]]との交換トレードで巨人に放出という形をとり、結果的に小林を獲得した。(詳細は[[江川事件]]を参照。)