「ジャガー・Eタイプ」の版間の差分
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[[1961年]]、[[サロン・アンテルナショナル・ド・ロト|ジュネーブショー]]にて華々しいデビューを飾ったEタイプは、美しいボディラインのみならず、当時としては夢のような最高速度240km/hを標榜し、人々の憧れの的となった。ボディーは[[オープンカー|オープン]]2シーターと[[クーペ]]の2つから選ぶことができた。前者はロードスターの名で呼ばれることが一般的である。
エンジンは
このモデルにおいては容量不足のブレーキと、古い設計で1速がノンシンクロであったモス製トランスミッションが不評を買った。また内装においては[[グランツーリスモ]]としては不充分な[[バケットシート]]、また[[センターコンソール]]の欠如が顧客の不満を招いたようである。ジャガーとしては新たな試みで美しくスポーティではあった内装の[[アルミニウム]]製パネルも高級感という点においては今ひとつであった。
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1964年10月<ref>『ワールドカーガイド12ジャガー』p.88。</ref>にシリーズ1はマイナーチェンジを受けた。主な変更点はエンジン、トランスミッション、内装、そしてブレーキである。しかし見た目にはほぼ何も変わっていなかった。
エンジンは
モス製トランスミッションは自社製のフルシンクロ4速[[マニュアルトランスミッション|MT]]へと換装され、すばやいシフト操作が可能となった。ブレーキは[[ダンロップ]]製から[[ロッキード]]製へと変わり、パフォーマンスは若干向上した。
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[[ファイル:Jaguar_E-Type_vorne02.jpg|right|240px|thumb|シリーズ3 ロードスター]]
[[ファイル:Jaguar_E-Type_SIII.jpg|right|240px|thumb|シリーズ3 2+2]]
シリーズ2の生産が終わってしばらく後の1971年10月<ref name="worldcarguide12-94" />、シリーズ3は発売を開始した。アメリカの安全基準に適合させるために骨抜きになったEタイプはエンジンをウォルター・ハッサンとウォーリー・マンディにより設計された
ボディタイプはクーペが廃止されロードスターと2+2の2タイプのみとなった。ロードスターも2+2の[[シャシ
外装は大きく手直しを受け、シリーズ1のシンプルな美しさはなくなったが、代わりに迫力と豪華さを備えていた。フロントにはメッキの格子状グリルが付いた。その横のバンパーにはアメリカの基準に合わせるべくつけられた不恰好なオーバーライダーがつけられていた。重量増に対応するためタイヤは太くなったが、それを飲み込むためにホイールアーチには前後ともフレアがつけられた。
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その他の変更点としては、[[パワーステアリング]]が付いたこと、ブレーキのディスクが通風式になったこと、ノーマルの車輪がワイヤーからメッキカバーの付いた[[スチールホイール]]へと変更されたこと、などが挙げられる。サスペンションも若干の変更を受けた。
これらの変更を受け大きく姿を変えたEタイプであるがしかしこの時点ですでにかなり旧態化しており、すばらしい新型エンジンはむしろその旧態化した[[シャシ
2+2クーペは1973年末、ロードスターは1975年2月に製造中止となった<ref name="worldcarguide12-95">『ワールド・カー・ガイド12ジャガー』p.95。</ref>。なお最後の50台にはライオンズのサインが入った<ref name="worldcarguide12-95" />、ゴールドのプレートが助手席のパネルに張られている。50台のうち49台は特別色のブラックで塗られてラインオフした。最後の1台はジャガー・ヘリテッジ・トラストに展示されている。
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