「ロータリークラブ」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
1行目:
'''ロータリークラブ''' (Rotary Club) は、国際的な社会[[奉仕]]連合団体「[[国際ロータリー]]」のメンバーである単位クラブである。その[[構成員]]のことを'''ロータリアン'''という。最初のクラブが例会場所を輪番(ローテーション)で提供しあったことから「ロータリー」の名がついた。
 
== 概要 ==
 
[[1905年]][[アメリカ合衆国|アメリカ]][[シカゴ]]に最初のクラブが誕生。メンバーはクラブにおいて1業種1人が原則であったが、現在その縛りは緩められている。輪番・回転にちなみ、6本スポークの歯車がシンボルマーク(エンブレム)である。
 
「国際ロータリー」は世界初の奉仕クラブ団体であり、200以上の国と地域に33,000近くのクラブを擁し、会員数は120万人以上である。
 
職業奉仕(会員の職業[[倫理学|倫理]]を高めること)と、そこから広がる社会奉仕と国際親善を目的とする。基本的には「I serve: 私は奉仕する」、クラブとは「奉仕をするクラブ会員であるロータリアン個人の集まり」であり、国際ロータリーはそのクラブの連合体とされているが、個人のみならずクラブ単位や国際ロータリーとしての奉仕プログラムも行われている。ロータリークラブ活動の特色として、各クラブごとに、独自の事務局を持ち自主独立運営が行われ、奉仕活動、寄付行為、会員の交流、友好事業等がなされている。
 
== 日本 ==
[[1920年]]、当時[[三井銀行]]の重役であった[[米山梅吉]]等が、[[東京都]]に日本初のロータリークラブ (RC) を、国際ロータリーから855番目に認証を受けて<ref>日本国内の855番目のクラブは[[宮城県]][[亘理町]]の亘理ロータリークラブである。3.11東日本大震災で被害を受けたがクラブは存続され地域奉仕の活動も継続して行われ会員数の減少もしていないという。</ref>創立した。
 
東京RC創立の経緯はつぎのとおりである。1918年に目賀田経済使節団の一員として訪米中の米山梅吉はダラスRC在籍の福島喜三次と出会いロータリーについて聞いた。ロータリーの例会に出席した米山梅吉は、ロータリーの利己のない奉仕の精神と行動に強い共感を持ち、日本でのロータリーの創立に動いた。元会員福島がロータリーの創立を希望していると知り、ダラスRCの会長は国際ロータリー会長に日本にロータリーの創立を勧める書簡を送った。このあと、国際ロータリーは直接福島喜三次と日本におけるロータリーの創立に向けて交渉を重ね、1920年10月20日に創立総会が開催され1921年4月1日に承認が下りた。東京RCの創立にあたってダラスRCは国際ロータリーへの橋渡しを行ってくれたが、東京RCは国際ロータリー直轄のクラブであり、スポンサーがダラスRCという事実はない。承認状を見てもスポンサークラブの記載は無い。日本で第2番目に認証を受けた大阪RCも国際ロータリー (RI) 直轄で出来たクラブである。ダラスRC会員であった[[福島喜三次]]が帰国後大阪に赴任し、星野行則とともに1921年(大正10年)大阪にロータリークラブを作る1922年(大正11年)春、同年11月1日第一回の創立準備会を中之島大阪ホテルにて開催した。その後チャーターメンバーを選び、クラブ細則原案を作り、1922年(大正11年)11月17日に大阪RC創立総会を開いた。
 
関東大震災を契機として、日本のロータリー運動は本格的になっていくが、1924年(大正13年)7月に東京RCを立ち上げた米山が初代のスペシャル・コミッショナーに任命される。第2代が井坂孝、第3代が平生釟三郎である。この3名の指導のもとに、次々とRCが日本の大都市に設立されていった。東京・大阪に続いて、1924年(大正13年)8月に3番目の神戸RCが8月に設立される。スポンサークラブは大阪RCであった。続いて東京RCがスポンサーで、1924年12月に4番目の名古屋RCが設立される。さらに東京・大阪両クラブの共同スポンサーによって5番目の京都RCが設立され、6番目に横浜RCが設立される。[[六大都市]]にロータリーが設立され、その後日本全国にRCが次々に拡大していった。[[第二次世界大戦]]による中断があったものの、戦後会員を拡大し世界第2のロータリー国となるが、近年に至り、経済情勢の変化さらに震災等の影響からか、会員数は減少傾向にある。
 
クラブ数2,287、会員数88,328人(2014年12月末・ロータリー公式誌による)。日本は3ゾーン編成で、34の地区に分かれている。そのうちの1地区には[[ミクロネシア]][[グアム]]、[[北マリアナ諸島|北]]マリアナ諸島[[パラオ]]という海外の地域も含む。
 
== 行動基準 ==
71行目:
設立時の定款には「男性会員」の記述があり、女性の入会は認められていなかった。1964年、スリランカのマウントラビニアRCが国際大会理事会規定審議会の議題に女性会員承認を提案したが、否決された。1989年2月の規定審議会決定で、ロータリアンとしての資格を備えた人なら、男女の差なく入会できるようになった。
2013年度版・地域別会員数アジア資料にある男性会員と女性会員の割合は以下の通り。
<table border="1">
<tr align="center">
<th>地域</th>