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[[File:Bao Si - Bai Mei Xin Yong.JPG|thumb|褒姒]]
 
'''褒姒'''(ほうじ)は、[[周]](西周)の[[幽王 (周)|幽王]]の后。絶世の女だ貌によたといて王を惑、西周をぼす元凶に導いた亡国の美女なったして知られる
 
==経歴史記の記述==
[[史記]]・周本紀に記された彼女の物語は、以下のようなものである。
彼女の出生については、多くが謎に包まれており、確かな情報はない。[[史記]]によれば、[[夏 (三代)|夏]]の時代から伝わる[[龍]]の口から出た泡をしまった箱があったが、[[厲王]]の時代に開けられた。なかの泡は宮中に広がり、最後には[[トカゲ]]と化し、[[後宮]]で7歳の童女と出会った。その童女が15歳のころ夫もなく出産し、不祥を恐れその子を捨てた。その捨て子が'''褒国'''(陝西褒城にあった姒姓の国)の貧しい商人に拾われたことから、後に褒姒といわれるようになった。
 
===出自===
その後、褒国が周の怒りを買い、褒国の王は、周の罰を逃れるために、彼女を幽王の元へと献上した。当時幽王の正室は[[申后]]であったが、褒姒の美しさに惹かれた幽王は彼女を溺愛するようになった。その後、申后及び申后の子である[[太子]]宜臼を廃して、褒姒を后に、褒姒の子の伯服を太子とした。
[[夏 (三代)|夏]]の時代、宮中の庭に神龍が出現した。夏の帝は龍に漦(口の泡)を貰い、箱に納めた。やがて夏が亡び、この箱は[[殷]]に伝わる。さらに殷が亡び、箱は周の王室に伝わったが、その間に一度も開けられることがなかった。
 
周の[[厲王]]の世になり、この箱を開いたところ、中から泡が発して庭じゅうに溢れだした。やがて泡は一匹の[[蜥蜴|トカゲ]]と為り、[[後宮]]に入り、七歳の童女に遭った。この童女が十五歳になったとき、夫も無くして子を生んだ。人は懼れ、この子を捨てた。
だが、褒姒はどんなことがあっても笑顔を見せることはなかった。幽王は彼女の笑顔を見たさに様々な手段を用い、当初、高級な[[絹]]を裂く音を聞いた褒姒がフッと微か笑ったのを見て、幽王は全国から大量の絹を集めてそれを引き裂いた。そしてそれにあわせて褒姒が微かに笑うのだが、次第に笑わなくなった。
 
次代の[[宣王]]の時代「山桑の弓に箕の[[箙]]、周の国が亡びよう」というわらべ歌がはやった。宣王が探させると確かに山桑の弓と箕の箙を売っている夫婦がいたので、捕えて殺そうとした。この夫婦は逃亡したが、途中で道ばたで泣いている捨子を見つけ、哀れに思って拾いあげ、ともに襃国に逃げた。その後、襃の者に罪があり、育ったこの少女を宮中に差し出して許しを乞うた。そこでこの襃国から来た少女を、褒姒と呼んだのである。
ある日、手違いで[[狼煙|烽火]]が上がり、諸侯が周の王宮に集まったことがあった。有事でもないのに諸侯が集まったことに褒姒が笑ったのを見た幽王は、褒姒の笑顔を見たさに、有事でもないのに烽火をあげ諸侯を集めるといった行為を始めた。それによって、褒姒は笑顔を見せるようになったが、幽王の愚かな行為に、諸侯は次第に彼を見限りはじめた。
 
幽王の三年、王は後宮で襃姒を見て愛するようになり、やがて子の伯服が生まれた。周の太史(記録係)伯陽は「禍成れり。周は滅びん」と言った。
そして、后の座を追われた申后の父、[[申侯]]ら申一族が、周に不満を持っていた諸侯と、蛮族の[[犬戎]]と手を組み、周に反乱を起こした。幽王は有事の烽火を上げたが、いつもの戯れと見た諸侯は駆け付けなかった。幽王は[[驪山]]の麓で捕えられて殺され、周(西周)は滅びた。その後、褒姒は殺されたとも、幽王の後を追うため自殺したとも、敵の捕虜となったとも云われているが、定かではない。
 
===亡国の美女としての褒 笑い===
襃姒は、笑ったことがなかった。幽王はなんとか彼女を笑わせようと手を尽くした。ある日、幽王は(緊急事態の)[[狼煙|烽火]]を上げさせ、太鼓を打ち鳴らした。諸将はさっそく駆けつけたが、来てみると何ごとも無い。右往左往する諸将を見た襃姒は、そのときはじめて晴れやかに笑った。喜んだ幽王は、そののちたびたび烽火を上げさせたので、次第に諸将は烽火の合図を信用しなくなった。また王は悪臣の[[カク石父|虢石父]]を登用して政治をまかせたので、人民は悪政に苦しみ、王を怨むようになった。
俗に、狼少年([[イソップ童話]]の「[[嘘をつく子供]]」)と同じように見て捉えるようになった褒と烽火の話によって、彼女は[[殷]]の[[妲己]]や、[[夏]]王朝の[[末喜]]、[[春秋]]時代の[[越]]の[[西施]]と並んで'''傾国の美女'''と呼ばれ、[[日本]]では小説などで[[玉藻前]]の正体である白面金毛[[九尾の狐]]が化けた者として紹介されるようになった。
 
王はとうとう当時の太后だった申氏と太子を廃し、襃姒を太后にして伯服を太子にした。怒った申氏の父の申侯はついに反乱して、蛮族の[[犬戎]]の軍勢と連合して幽王を攻めた。王は烽火を上げさせたが、応じて集まる兵はなかった。反乱軍は[[驪山]]で幽王を殺し、襃姒を捕え、周の財宝をことごとく略奪して立ち去ったのである。
何故彼女が簡単に笑わなかったかについては諸説があるが、数多の美女を見てきた幽王の気を向かせるために仕組んだ媚びの一つとも、内向的な性格からだとも云われている。
== 傾国の美女 ==
襃姒をはじめ、[[殷]]の[[妲己]]や、[[夏]]王朝の[[末喜]]、[[春秋]]時代の[[越]]の[[西施]]など、古代中国史には美貌によって王者を破滅させ、国を滅亡に導く魔性の女性がしばしば現れる。以後、国が傾く原因になるほどの美女を「傾国の美女」と呼ぶようになった。同様の意味で「傾城の美女」とも言い、のちに「傾城」は江戸時代の日本で[[花魁]]の別称になった。
 
彼女の出自に関する記録は奇怪で神話的出生譚からうえ、計算すると褒姒が結婚した年齢は50歳をこえ、寵愛は受けられそう美貌で王を惑わしたとするは史実性が疑わしい。彼女出生譚は来歴が謎めいていることから、の時代作ら数多くの伝説が生まれた物だろうまた[[詩経平家物語]]の小雅・正月に記述で「赫赫宗周褒姒滅之(輝かし彼女は[[野干]]と周王朝、褒姒がこれを滅ぼしう魔獣の化身であっ)」あり、亡国譚いう。通俗小説などで[[春秋戦国時代玉藻前]]から信じられの正体である白面金毛の[[九尾の狐]]が化けていたことがわかなどの設定もある。
 
==関連項目 ==