削除された内容 追加された内容
cat+1
編集の要約なし
2行目:
| 名称 = ケシ<span style="font-size: smaller; font-weight: normal; ">([[クロンキスト体系]])</span>
| 色 = lightgreen
| 画像 = [[画像:ikkanshuPapaver_somniferum_-_K%C3%B6hler%E2%80%93s_Medizinal-Pflanzen-102.jpg|250px]]
| 画像キャプション = ケシ(一貫ソムニフェルム種)
| 界 = [[植物界]] [[:w:Plantae|Plantae]]
| 門 = [[被子植物門]] [[:w:Magnoliophyta|Magnoliophyta]]
112行目:
 
なお、先進国においては乾燥させた本種の植物体を有機溶媒に浸してアルカロイド成分を浸出させる方法で効率的にモルヒネを回収している。原始的なへら掻きによる採取は、モルヒネの回収率が非効率なこともあり、形としてアヘンを生産する必要のあるアヘン輸出可能国か、非合法生産下でしか行われていない。
 
====日本での栽培史====
[[Image:ikkanshu.jpg|right|thumb|日本種(一貫種)]]
日本では、[[室町時代]]に[[南蛮貿易]]によってケシの種が[[インド]]から[[津軽]]地方(現在の[[青森県]])にもたらされ、それが「ツガル」というケシの俗称となったという伝承がある<ref>伊澤一男『薬草カラー図鑑』「ケシ」。</ref>。その後現在の山梨県、和歌山県、大阪府付近などで少量が産出されがいずれも少量で高価であり、用途としても[[麻酔]]などの医療用に限られていた。
 
明治の半ば、大阪府の農民[[二反長音蔵]]がケシ栽培を政府に建白、[[台湾総督府]]衛生顧問だった政府要人の[[後藤新平]]の後押しを得て台湾むけの販路を確保、地元の大阪府[[三島郡]]で大規模生産に乗り出すとともに、品種改良に尽力し、モルヒネ含有量が既存種の数倍に達する一貫種と呼ばれる優良品種を作出した。1935年頃には全国作付けが100ha、アヘン年間生産量は15tに達した。当時全国産額の50%は和歌山県有田郡で、40%が大阪府三島郡がそれぞれ占めた。昭和に入るとケシ栽培は朝鮮や満州にも広がり、旧日本軍の重要な資金源となった。
 
1946年ケシ栽培が禁止されたが、1954年あへん法が制定され、翌1955年から栽培が再開された。しかし戦前のような大規模栽培は復活することなく、現在の栽培量は上述したように実験室レベルに留まっている。
 
==== 日本における栽培の現状 ====
120 ⟶ 128行目:
なお、2008年には[[茨城県]][[下妻市]]にある小貝川ふれあい公園で行われるフラワーフェスティバルの会場では、ポピー畑に誤って栽培禁止種であるアツミゲシが種子の時点でポピーの種子に混入したために数十万本植えられていることが判明し、撤去・焼却処分した事例もある。
 
====日本での栽培史====
日本では、[[室町時代]]に[[南蛮貿易]]によってケシの種が[[インド]]から[[津軽]]地方(現在の[[青森県]])にもたらされ、それが「ツガル」というケシの俗称となったという伝承がある<ref>伊澤一男『薬草カラー図鑑』「ケシ」。</ref>。その後現在の山梨県、和歌山県、大阪府付近などで産出されがいずれも少量で高価であり、用途としても[[麻酔]]などの医療用に限られていた。
 
第1次世界大戦頃、医薬品国産奨励の一環として栽培が奨励され、1935年頃には全国作付けが100ha、アヘン年間生産量は15tに達した。当時全国産額の50%は和歌山県有田郡で、40%が大阪府三島郡がそれぞれ占めた。
 
1946年ケシ栽培が禁止されたが、1954年あへん法が制定され、翌1955年から栽培が再開された。しかし戦前のような大規模栽培は復活することなく、現在の栽培量は上述したように実験室レベルに留まっている。
 
====栽培法====