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== 分布 ==
[[地中海 (ヨーロッパ)|地中海]]地方または[[東ヨーロッパ]]原産とも言われているが、野生下にある[[原種]]が発見されていないため確証はない。現在、国際条約下でアヘンの輸出可能な国はインド、中国、日本、[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]の4ヶ国に限定されているが、現在も輸出を継続しているのはインドのみであるため、国際条約下においてはインドが本種の最大の栽培地といえる
 
このほか国際的に紛争が起きている地域で、住民が手っ取り早く現金収入を得るために国際条約を無視して本種を栽培するケースが多く、旧ソ連の[[中央アジア]]や、長年内乱が続いた[[アフガニスタン]]、[[カンボジア]]、[[中央アメリカ|中米]]などが新たな非合法栽培の中心地となっている。このケースにおいて、20世紀に非常に有名だったのが、いわゆる[[黄金の三角地帯]](ゴールデントライアングル)としても知られる[[ミャンマー]]・[[タイ王国|タイ]]・[[ラオス]]の国境にまたがる地域であるが、2002年以降は同地域での紛争が沈静化し、ようやく同地の支配権を確保できた政府によって他の換金作物への[[転作]]が奨励されるようになったため、低調化している。21世紀に入ってから条約無視の不法ケシ最大生産国は[[アフガニスタン]]で、2014年時点で全世界生産量の70%が同国産となっており、[[ターリバーン#麻薬問題|タリバン]]など同国反政府組織の重要な資金源となっている<ref>{{cite web|author= AFPニュース|title=ケシ栽培から脱却できないアフガニスタンの農民|accessdate=May 3, 2011|url=http://www.afpbb.com/article/war-unrest/2797980/7130010}}</ref><ref name="kyodo20140626">{{Cite news |title= 世界のケシ栽培面積、過去最大に 国連報告、アフガンも増加|date= 2014-06-26|url= http://www.47news.jp/CN/201406/CN2014062601001551.html|accessdate= 2014-06-26|agency= [[共同通信]]|publisher= [[47NEWS]]}}</ref>。[[国連薬物犯罪事務所]]の発表では、[[2013年]]の世界の不法なケシの作付け面積は約29万7000[[ヘクタール]]に及ぶ<ref name="kyodo20140626"/>。<!--その代わりに共産党一党支配が崩壊し、民族紛争が噴出した[[ボスニア]]、[[ルーマニア]]、旧ソ連の[[中央アジア]]や、長年内乱が続いた[[アフガニスタン]]、[[カンボジア]]、[[中央アメリカ|中米]]などが新たな非合法栽培の中心地となっている。-->
栽培植物としての歴史は古く、紀元前5000年頃と考えられる[[スイス]]の遺跡から本種の種子が発見されている(どのように利用されていたかは不明)。[[四大文明]]が興った頃にはすでに[[薬草]]として栽培されていたとされ、[[シュメール]]の[[楔形文字]]板にも本種の栽培記録がある。本種の薬用利用はそこから[[エジプト]]を経て[[ギリシャ]]に伝わったと考えられ、[[ローマ帝国]]を経て[[ヨーロッパ]]全土に広まった。その間に帝国の退廃を映して利用法も[[麻薬]]用へと変貌を遂げ、[[大航海時代]]を経て[[アヘン]]原料として世界各地に広まった。
 
特に[[イギリス]]は植民地であった[[インド]]で本種の大々的な栽培を行い、生産されたアヘンを[[中国]](当時は[[清]])へ[[輸出]]し莫大な利益をあげた。同様に日本も戦前[[朝鮮]]や[[満洲]]の一部([[熱河省]]。現在の[[河北省]]、[[遼寧省]]、[[内モンゴル自治区]]の一部)で本種の栽培を奨励し、[[第二次大戦]]中は[[満洲国]]、[[蒙古聯合自治政府]]、[[汪兆銘政権|南京国民政府]]などで本種の大規模栽培を行い、生成されたアヘンに高額の税をかけ戦費を調達した<ref>{{cite web|author= NHKスペシャル|title=調査報告 日本軍と阿片 |accessdate=Aug 17, 2008|url=http://www.nhk.or.jp/special/detail/2008/0817/}}</ref>
。それを遡ること半世紀前、台湾においては、日本による統治開始後40年をかけて、アヘン栽培を租税対象とし段階的に税金を引き上げることで、最終的にアヘン栽培を消滅させているが、その過程でアヘンの生産と販売を[[台湾総督府]]の[[専売制]]として独占し、莫大な利益を得た経緯があり、中国戦線における戦費調達はこれに倣ったものと見られる。
 
現在、国際条約下でアヘンの輸出可能な国はインド、中国、日本、[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]の4ヶ国に限定されているが、現在も輸出を継続しているのはインドのみであるため、国際条約下においてはインドが本種の最大の栽培地といえる。
 
このほか国際的に紛争が起きている地域で、住民が手っ取り早く現金収入を得るために国際条約を無視して本種を栽培するケースが多く、このケースにおいて、20世紀に非常に有名だったのが、いわゆる[[黄金の三角地帯]](ゴールデントライアングル)としても知られる[[ミャンマー]]・[[タイ王国|タイ]]・[[ラオス]]の国境にまたがる地域であるが、2002年以降は同地域での紛争が沈静化し、ようやく同地の支配権を確保できた政府によって他の換金作物への[[転作]]が奨励されるようになったため、低調化している。21世紀に入ってから条約無視の不法ケシ最大生産国は[[アフガニスタン]]で、2014年時点で全世界生産量の70%が同国産となっており、[[ターリバーン#麻薬問題|タリバン]]など同国反政府組織の重要な資金源となっている<ref>{{cite web|author= AFPニュース|title=ケシ栽培から脱却できないアフガニスタンの農民|accessdate=May 3, 2011|url=http://www.afpbb.com/article/war-unrest/2797980/7130010}}</ref><ref name="kyodo20140626">{{Cite news |title= 世界のケシ栽培面積、過去最大に 国連報告、アフガンも増加|date= 2014-06-26|url= http://www.47news.jp/CN/201406/CN2014062601001551.html|accessdate= 2014-06-26|agency= [[共同通信]]|publisher= [[47NEWS]]}}</ref>。[[国連薬物犯罪事務所]]の発表では、[[2013年]]の世界の不法なケシの作付け面積は約29万7000[[ヘクタール]]に及ぶ<ref name="kyodo20140626"/>。<!--その代わりに共産党一党支配が崩壊し、民族紛争が噴出した[[ボスニア]]、[[ルーマニア]]、旧ソ連の[[中央アジア]]や、長年内乱が続いた[[アフガニスタン]]、[[カンボジア]]、[[中央アメリカ|中米]]などが新たな非合法栽培の中心地となっている。-->
 
== 形態 ==
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といった短所を抱えている。
本種を資金源に利用する側からすれば、リスクを冒して違法栽培をするより、政情不安地域で国際条約を無視して生産したそれを密輸したほうがはるかに手早く、そのような地域からの輸入は金銭的なコストも安く済むことは容易に想像できる。
 
==== 世界における栽培史 ====
栽培植物としての歴史は古く、紀元前5000年頃と考えられる[[スイス]]の遺跡から本種の種子が発見されている(どのように利用されていたかは不明)。[[四大文明]]が興った頃にはすでに[[薬草]]として栽培されていたとされ、[[シュメール]]の[[楔形文字]]板にも本種の栽培記録がある。本種の薬用利用はそこから[[エジプト]]を経て[[ギリシャ]]に伝わったと考えられ、[[ローマ帝国]]を経て[[ヨーロッパ]]全土に広まった。その間に帝国の退廃を映して利用法も[[麻薬]]用へと変貌を遂げ、[[大航海時代]]を経て[[アヘン]]原料として世界各地に広まった。特に[[イギリス]]は植民地であった[[インド]]で本種の大々的な栽培を行い、生産されたアヘンを[[中国]](当時は[[清]])へ[[輸出]]し莫大な利益をあげた。
 
==== 世界における栽培の現状 ====
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====日本での栽培史====
[[Image:ikkanshu.jpg|right|thumb|日本種(一貫種)]]
日本では、[[室町時代]]に[[南蛮貿易]]によってケシの種が[[インド]]から[[津軽]]地方(現在の[[青森県]])にもたらされ、それが「ツガル」というケシの俗称となったという伝承がある<ref>伊澤一男『薬草カラー図鑑』「ケシ」。</ref>。その後現在の山梨県、和歌山県、大阪府付近などで少量が産出されがいずれも少量で高価であり、用途として[[麻酔]]などの医療用に限られていた。
 
明治の半ば、大阪府の農民[[二反長音蔵]]がケシ栽培を政府に建白、地元の大阪府[[三島郡]]で大規模生産に乗り出すとともに、品種改良に尽力し、モルヒネ含有量が既存種の数倍に達する一貫種と呼ばれる優良品種を作出した。日本は[[台湾]]統治開始後、台湾においてアヘンが一大産業になっていることを知り、40年をかけ台湾のケシ栽培を課税対象とし、段階的に課税を厳格化することで、最終的に台湾のケシ生産を消滅させている。一方で[[台湾総督府]]衛生顧問だった[[後藤新平]]は二反長音蔵のケシ栽培を積極的に後援し、日本国内のアヘンの生産と台湾での販売を[[台湾総督府]]の[[専売制]]として独占し、莫大な利益を得た。1935年頃には全国作付けが100ha、アヘン年間生産量は15tに達した。当時全国産額の50%は和歌山県有田郡で、40%が大阪府三島郡がそれぞれ占めた。
 
昭和[[イギリス]]は植民地であった[[インド]]で入ると日種の大々的な栽培を行い、生産されたアヘンを[[中国]](当時[[清]])へ[[輸出]]し莫大な利益をあげた。同様に日本も戦前[[朝鮮]]や[[満洲]]の一部([[熱河省]]。現在の[[河北省]]、[[遼寧省]]、[[内モンゴル自治区]]の一部)で本種のケシ栽培を奨励し、[[第二次大戦]]中は[[満洲国]]、[[蒙古聯合自治政府]]、[[汪兆銘政権|南京国民政府]]などで本種の大規模栽培を行い、生成されたアヘンに高額の税をかけ戦費を調達した<ref>{{cite web|author= NHKスペシャル|title=調査報告 日本軍と阿片 |accessdate=Aug 17, 2008|url=http://www.nhk.or.jp/special/detail/2008/0817/}}</ref>
明治の半ば、大阪府の農民[[二反長音蔵]]がケシ栽培を政府に建白、[[台湾総督府]]衛生顧問だった政府要人の[[後藤新平]]の後押しを得て台湾むけの販路を確保、地元の大阪府[[三島郡]]で大規模生産に乗り出すとともに、品種改良に尽力し、モルヒネ含有量が既存種の数倍に達する一貫種と呼ばれる優良品種を作出した。1935年頃には全国作付けが100ha、アヘン年間生産量は15tに達した。当時全国産額の50%は和歌山県有田郡で、40%が大阪府三島郡がそれぞれ占めた。昭和に入るとケシ栽培は朝鮮や満州にも広がり、旧日本軍の重要な資金源となった。
 
終戦後の1946年、GHQがケシ栽培禁止されたが国内生産は途絶した。1954年あへん法が制定され、翌1955年から栽培が再開された。しかし戦前のような大規模栽培は復活することなく、現在の栽培量は実験室レベルに留まっている。
 
==== 日本における栽培の現状 ====