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[[神産み]]の段で[[イザナギ]]と[[イザナミ]]の間に産まれた神で、鳥の様に空を飛べる。『[[古事記]]』の[[葦原中国平定]]の段では、天鳥船神が[[タケミカヅチ|建御雷神]]の副使として葦原中国に派遣され{{sfnp|武田|1996|pp=60, 244}}、[[事代主神]]の意見をきくために使者として遣わされた。しかし『[[日本書紀]]』の同段では天鳥船神は登場せず、事代主神に派遣されたのも稲背脛という別の者になっている。稲背脛は「熊野諸手船、またの名を天[合+鳥]船」という船に乗っていったというが、古事記では天鳥船神それ自身が使者となっている<ref>同一視する説もあるが、天鳥船と熊野諸手船の関係や相違などは不詳。</ref>。また熊野諸手船は[[美保神社]]の諸手船神事の元である。
 
これとは別に、『日本書紀』の神産みの段本文で、イザナギ・イザナミが産んだ[[ヒルコ|蛭児]]を鳥磐櫲樟船(とりのいわくすふね)に乗せて流したとの記述があるが、『古事記』では蛭子が乗って行ったのは鳥之石楠船神ではなく葦船(あしぶね)である。
 
また『日本書紀』の神武天皇の章には、『[[ニギハヤヒ|饒速日命]]、天磐船(あめのいわふね)に乗りて、太虚(おほぞら)を翔(めぐり)行きて、是(こ)の郷(くに)を睨(おせ)りて降(あまくだ)りたまふ』と記されており、平安時代の偽書ともいわれる『[[先代旧事本紀]]』では、饒速日尊が天磐船で大和に天下ったとの記述は詳細なものになっている<ref>しかし『日本書紀』にしろ『先代旧事本紀』にしろ鳥磐橡櫲樟船と天磐船との関係や相違などは明らかになっていない。</ref>。