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地元の「富士シニア」所属時代は[[投手]]として全国16強入りし、全日本選抜メンバーにも選出された。
 
{{by|2006年}}に[[横浜中学校・高等学校|横浜高校]]に進学。2007年秋の[[明治神宮野球大会|明治神宮大会]]では準優勝投手となった。この年の秋関東大会までは[[野球の背番号|背番号]]'''1'''だったが、明治神宮大会では背番号'''10'''として出場した(エースとしての自覚を持ってほしい事から、監督が背番号を'''10'''に変更させた)。エースとして3年生時の春({{by|2008年}})に出場した[[第80回選抜高等学校野球大会|第80回選抜大会]]は初戦(2回戦)で[[滋賀県立北大津高等学校|北大津高校]]の前に敗退するも、続く3年生時の夏の[[第90回全国高等学校野球選手権記念大会|第90回選手権大会]]では[[浦和学院高等学校|浦和学院高校]]や[[広陵高等学校 (広島県)|広陵高校]]、[[仙台育英高校]]といった強豪を撃破したものの、準決勝で[[浅村栄斗]]を擁する[[大阪桐蔭中学校・高等学校|大阪桐蔭高校]]に敗れベスト4。[[社会人野球]]の[[JR東日本硬式野球部|JR東日本]]入りが内定していたが、プロに対する気持ちが強く[[プロ志望届]]を提出した<ref>>{{cite news|url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2008/10/06/kiji/K20081006Z00000650.html|title=注目左腕・横浜の土屋がプロ志望届提出|newspaper=スポニチSponichi Annex|publisher=スポーツニッポン|date=2008-10-06|accessdate=2013-04-18}}</ref>。

[[2008年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|2008年プロ野球ドラフト会議]]で[[北海道日本ハムファイターズ]]から4巡目で指名を受け、11月16日に契約金3,500万円、年俸580万(金額は推定)という条件仮契約入団した。背番号は'''37'''
===日本ハム時代===
{{by|2010年}}は[[イースタン・リーグ|イースタンリーグ]]で78奪三振で1位タイ、防御率3.34、勝利数7でいずれも2位の好成績を残し、[[ベースボール・マガジン社]]選定のビッグホープ賞を受賞した。しかしながら一軍では5.1[[投球回]]で10失点と苦しんだ。プライベートでは[[9月21日]]に第1子が誕生<ref>[http://www.fighters.co.jp/news/detail/1599.html 北海道日本ハムファイターズ公式サイト ニュース 土屋健二選手第1子誕生のお知らせ]</ref>。
 
{{by|2011年}}は一度も一軍登録されなかった。翌{{by|2012年}}6月5日に2年ぶりに登録され、同日の[[広島東洋カープ]]戦にてその試合の先発投手・[[吉川光夫]]が[[危険球]]により退場処分となったため急遽登板するが、先頭の[[赤松真人]]に逆転本塁打を打たれるなどで一死も取れずに5失点で降板し、敗戦投手となった。同年内の登板はこの1試合のみに留まった。同年11月14日[[北篤]]とのトレードで[[横浜DeNAベイスターズ]]への移籍が発表された<ref>{{cite news|url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/11/14/kiji/K20121114004553300.html|title=DeNAへトレード ハム・土屋“地元”で「気持ち新たに」 |newspaper=スポニチSponichi Annex|publisher=|date=2012-11-14|accessdate=2013-04-11}}</ref>
===DeNA時代===
2012年11月14日に、[[北篤]]との交換トレードで、[[横浜DeNAベイスターズ]]へ移籍することが発表された<ref>{{cite news|url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/11/14/kiji/K20121114004553300.html|title=DeNAへトレード ハム・土屋“地元”で「気持ち新たに」 |newspaper=スポニチSponichi Annex|publisher=|date=2012-11-14|accessdate=2013-04-11}}</ref>。背番号は'''45'''。
 
{{by|2013年}}、移籍後初登板となった4月6日の対[[東京ヤクルトスワローズ]]戦でプロ初勝利を挙げる<ref>{{cite news|url=http://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20130406-1108753.html|title=【DeNA】土屋1勝「みんなのおかげ」 |newspaper=日刊スポーツ|publisher=|date=2013-04-06|accessdate=2013-04-11}}</ref>。この試合は[[アレックス・ラミレス]]の日本での通算2000本安打の達成試合でもあった。
 
{{by|2014年}}、イースタン・リーグ公式戦20試合に登板。1勝1敗3セーブ、防御率1.35という成績を残した。一軍公式戦では7試合の登板にとどまったため、シーズン終了後には球団からの[[戦力外通告]]を覚悟していたが、現状維持の推定年俸650万円で契約の更改に至った<ref name=kuramoto />。
 
{{by|2015年}}、横浜高校時代の同級生だった[[倉本寿彦]]が、ルーキー[[内野手]]としてDeNAに入団。高校卒業以来7年振りに、倉本のチームメイトになった<ref name=kuramoto>{{cite news|url=http://www.daily.co.jp/newsflash/baseball/2014/11/25/0007532348.shtml|title=DeNA土屋「クビかと思っていた」|newspaper=デイリースポーツ|publisher=|date=2014-11-25|accessdate=2015-11-11}}</ref>。しかし、倉本がオープン戦から[[遊撃手]]のレギュラー格として一軍で起用されたのに対して、土屋には一軍公式戦への登板機会がなかった。10月4日に戦力外通告を受けた<ref>{{cite news|url=http://www.baystars.co.jp/news/2015/10/1004_01.php|title=2016年度 選手契約について|newspaper=|publisher=横浜DeNAベイスターズ|date=2015-10-04|accessdate=2015-11-11}}</ref>ことから、11月10日には[[打撃 (野球)#練習方法|シートバッティング]]形式の[[12球団合同トライアウト]]([[草薙球場]])に参加。打者3人を無安打に抑えた<ref>{{cite news|title=2015年合同トライアウト速報|url =http://www.nikkansports.com/baseball/news/1562569.html|newspaper=日刊スポーツ|date=2015-11-10}}</ref>が、11月19日に現役引退を発表した<ref>{{cite news|url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2015/11/19/kiji/K20151119011533220.html|title=DeNADeNA土屋 引退を決意 爪切りで「野球人生が終わったと」|newspaper=スポニチ Sponichi Annex|date=2015-11-19|accessdate=2015-11-21}}</ref>。
===現役引退後===
現役引退を機に、アスリートマネジメント会社「M.H.B」の代表へ就任した<ref>{{cite news|url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2015/12/21/kiji/K20151221011721180.html|title=DeNA後藤 “松坂世代”逆襲へ燃える「みんなで同じグラウンドに」|newspaper=スポニチ Sponichi Annex|date=2015-12-21|accessdate=2016-09-05}}</ref>。トレーニングの知識が豊富な[[ダルビッシュ有]]と日本ハム時代に自主トレーニングを積んだ経験と、独学で身に付けたトレーニング理論を基に、パーソナルトレーナーとしても活動。また、2016年4月までに[[保険]]関連の資格を6つ取得したことを機に、保険代理業も営んでいる<ref>{{cite news|url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2016/05/03/kiji/K20160503012516110.html|title=元DeNA・土屋健二氏 睡眠3時間「必死」の転身 現在は3つの顔 |newspaper=スポニチ Sponichi Annex|date=2016-05-03|accessdate=2016-09-05}}</ref>。
 
== 詳細情報 ==