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2004年に[[ジョゼ・モウリーニョ]]が監督に就任するとチームのキャプテンに指名される。モウリーニョが[[フランク・ランパード]]らイングランド人と共に主将テリーに託した「率先してチームを引っ張ってほしい」という言葉通りに抜群のキャプテンシーを発揮。守っては、そのモウリーニョと共にやって来た新加入のディフェンダー・[[リカルド・カルヴァーリョ]]と共にリーグ最少失点の堅陣を築いた。守備だけにはとどまらず攻撃の場面では得意のヘディングでゴールを量産した。中でも[[UEFAチャンピオンズリーグ 2004-05|UEFAチャンピオンズリーグ]]の決勝トーナメント一回戦[[FCバルセロナ]]戦でのヘディングゴールはチームを救う一撃となった。なお、このシーズンで自身初となるUEFAチャンピオンズリーグ最優秀ディフェンダーに選出されている。
 
2006年10月14日の[[レディングFC|レディング]]戦では、[[ゴールキーパー (サッカー)|GK]]の[[ペトル・チェフ]]が試合開始早々に相手[[ミッドフィールダー|MF]][[スティーヴン・ハント]]の膝が頭に直撃し負傷退場となった上に、代わりに出場した控えGKの[[カルロ・クディチーニ]]も後半ロスタイムに相手DFと接触し負傷退場となってしまった。交代枠を使い切っていたため、テリーがわずかな時間ながら代役GKとしてゴールマウスを守ることになり、自らのポジションであったセンターバックはFWの[[ディディエ・ドログバ|ドログバ]]が入ることになった。
 
2006年末から2007年の2月にかけて、腰の手術のためにチームを離脱。モウリーニョ監督はその間[[パウロ・フェレイラ]]や[[マイケル・エッシェン]]をセンターバックに起用していたが、[[リヴァプールFC|リヴァプール]]とのアウェー戦では0-2で完敗するなど守備の安定感を欠き、テリーの偉大さを証明する結果となった。2月3日に行われた[[チャールトン・アスレティックFC|チャールトン・アスレティック]]とのアウェー戦で終了間際に交代でピッチに登場し、約一ヶ月ぶりの復帰を果たす。翌週の[[ミドルズブラFC|ミドルズブラ]]ではスターティングメンバーに復帰し、以前と変わらぬ安定したプレーを見せた。