「レミー・ボンヤスキー」の版間の差分

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[[2005年]]4月30日、K-1ラスベガス大会で[[マイティ・モー]]と対戦。試合は全体を通してレミーが支配していたが、3Rに右フックでダウンを奪われたシーンがあったため微妙な判定で敗れた。
前年に続いて1回戦をシードされて迎えた11月19日の決勝大会の準々決勝では[[チェ・ホンマン]]を判定で下すも、準決勝で[[セ・シュルト]]に膝蹴りに苦しみ、自らしゃがみこんでダウンをするなどし1RKO負け。試合後、「4週間ぐらい前に怪我をしたところを攻められた。精神面じゃなく肉体面が敗因だ」、「王者のプレッシャーから解放された」とコメントした。
 
2005年12月31日、[[K-1 PREMIUM 2005 Dynamite!!]]にて[[ザ・プレデター]]と対戦、プレデターの圧力に苦戦し劣勢となるも、判定2-1で勝利。
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2009年9月26日、[[K-1 WORLD GP 2009 IN SEOUL FINAL16]]で[[メルヴィン・マヌーフ]]と対戦し、判定勝ち。
 
2009年12月5日、[[K-1 WORLD GP 2009 FINAL]]の準々決勝で[[エロール・ジマーマン]]に判定勝ち。準決勝で[[セ・シュルト]]と対戦し、1R開始直後に左フックでフラッシュダウン気味のダウンを奪うも、シュルトのラッシュにより、2度のダウンを奪い返されてKO負けし、連覇ならず。
 
[[2010年]]8月、[[網膜剥離]]の手術を受け、成功した<ref>[http://gbring.com/sokuho/news/2010_09/0919_k-1_02.htm 【K-1】10・2バダ・ハリが暴行容疑を晴らすため、ボンヤスキーが網膜はく離のため欠場] 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年9月19日</ref>。以後は自身が経営するボンヤスキー・アカデミーで[[ダニョ・イルンガ]]ら後進の指導をしつつ、欧州のキックボクシング団体である[[IT'S SHOWTIME]]のリポーターなどを務めながら、あと1試合で現役を引退することを表明し、引退試合をK-1かIT'S SHOWTIMEのどちらかで行うべく、両天秤にかけて契約交渉を行っていたが、IT'S SHOWTIMEのCEOサイモン・ルッツが「誰も彼の要求額は支払えない」と語るほど巨額なファイトマネーを要求したため、結局引退試合を行わないまま一度目の現役引退となった<ref>[http://www.boutreview.com/2/news/itsshowtime/item_6520.html ルッツ会長インタビュー「我々は『K-1後』を考えていますよ」] - boutreview・2011年1月26日</ref>。
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*2004年に[[アーネスト・ホースト]]に疑惑の判定で勝利した後、疑惑の判定負けに納得しないホーストに対して『諦めろ』とコメントしている。
*2006年に[[ジェロム・レ・バンナ]]に疑惑の判定により勝利した後、バンナ陣営の抗議によって裁定が覆った事について、レミーは『ファイターならば、会場で判定が言い渡された時点で負けを受け入れるべきだ。真のファイターは判定に文句を言わないものだ。』とコメントし、判定に抗議をしたバンナを批判した。しかし、実はレミー自身も2005年の[[アレクセイ・イグナショフ]]戦前後のインタビューにて、過去にイグナショフに判定で敗れた事について、判定が正当な物ではなかったとして自分が勝っていたと主張している。また、2006年の[[ステファン・レコ]]戦前のインタビューでも、過去にレコに判定負けした試合についても、自分が勝っていたと主張している。
*[[セ・シュルト]]については『シュルトは王者だったけど、それがファンに伝わっていなかった。ルックスも王者らしくないし、トークもできない。しかもファイトスタイルはつまらない。』と酷評し、2007年の開幕戦後のインタビューでは『セ・シュルトと戦いたい』、『今ならシュルトに勝てると思う』とコメントしている。しかし、2008年のシュルト不在時に優勝した後には、『GPで十分に自分の強さは示したと思うし、今更セームと戦いたいとは思わない』とコメントしている。この事について、K-1携帯公式サイトにて、『レミーはシュルトから逃げているのではないか?』という質問を受けたK-1プロデューサーの谷川貞治は『僕もレミーはシュルトとの対戦をかなり嫌がっていると思いますよ。』とコメントし、レミーがシュルトから逃げたということを肯定する発言をしている。
 
== 評価 ==
* K-1ファンのみならず選手や関係者の間でも王者としてのレミーの実力を疑問視する声は非常に多く、格闘技ウェブマガジンGBRでも、『かつてのアーツやホーストのような高い評価を得られていないのも事実』と評されている。<ref>[http://gbring.com/sokuho/result/result2009_12/1205_k-1_02.htm 【K-1】セ・シュルトが大活躍のバダ・ハリをKOし、史上最多タイ4度目の優勝] 格闘技ウェブマガジンGBR 2009年12月5日</ref>
 
*初優勝した2003年のGPでは[[ジェロム・レ・バンナ]]、[[アーネスト・ホースト]]、[[マーク・ハント]]、[[ミルコ・クロコップ]]、[[ステファン・レコ]]らの多くのトップファイターが欠場していた為、GPトーナメントの対戦相手は、[[ピーター・グラハム]]、[[シリル・アビディ]]、[[武蔵 (格闘家)]]と有力選手と対戦しないまま、優勝したため『レミーが優勝できたのは有力選手らが欠場していた為ではないのか』とレミーの実力を疑問視する声が上がった。
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*3度目の優勝を果たした2008年のWGPでは開幕戦の[[ポール・スロウィンスキー]]戦で3Rに追い込まれながらも、またしても疑惑の判定勝ちを収めた事。そして、WGP決勝では準々決勝の対戦相手のバンナが試合前から左腕を負傷していた為、[[ピーター・アーツ]]、[[エロール・ジマーマン]]と言った強豪と対戦していた[[バダ・ハリ]]に比べて、組合せに恵まれていた面もあり、更に決勝の[[バダ・ハリ]]戦での勝利が反則による決着であった為、またしてもレミーの実力を疑問視する声が上がった。
 
*レミー本人は、こういったレミーの実力を疑問視する声について、2009年のジマーマン戦前のインタビューにて『私が優勝するといつも文句が出る。』とコメントしている。<ref>[http://gbring.com/sokuho/result/result2009_12/1205_k-1_02.htm 【K-1】セ・シュルトが大活躍のバダ・ハリをKOし、史上最多タイ4度目の優勝] 格闘技ウェブマガジンGBR 2009年12月5日</ref>
 
== 2度にわたる名誉賞の受賞 ==
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{{Fight-cont|○| [[フィリップ・ヴェルリンデン]]| 3R終了 判定143-142| [[DREAM.18 & GLORY 4]]<br />【GLORY GRAND SLAM ヘビー級世界トーナメント2012 1回戦】| 2012年12月31日}}
{{Fight-cont|○| [[アンダーソン・ブラドック・シルバ]]| 3R+延長1R終了 判定4-1| GLORY 2| 2012年10月6日}}
{{Fight-cont|×| [[セ・シュルト]]| 1R 2:28 KO(2ノックダウン:右ストレート)| [[K-1 WORLD GP 2009 FINAL]]<br />【WORLD GP 準決勝】| 2009年12月5日}}
{{Fight-cont|○| [[エロール・ジマーマン]]| 3R終了 判定3-0| [[K-1 WORLD GP 2009 FINAL]]<br />【WORLD GP 準々決勝】| 2009年12月5日}}
{{Fight-cont|○| [[メルヴィン・マヌーフ]]| 3R終了 判定3-0| [[K-1 WORLD GP 2009 IN SEOUL FINAL16]]<br />【WORLD GP 1回戦】| 2009年9月26日}}
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{{Fight-cont|×| [[ジェロム・レ・バンナ]]| 3R終了 判定0-3| K-1 WORLD GP 2006 IN AMSTERDAM<br />【スーパーファイト】| 2006年5月13日}}
{{Fight-cont|○| [[ザ・プレデター]]| 3R終了 判定2-1| [[K-1 PREMIUM 2005 Dynamite!!]]| 2005年12月31日}}
{{Fight-cont|×| [[セ・シュルト]]| 1R 2:08 KO(2ノックダウン:左膝蹴り)| K-1 WORLD GP 2005 IN TOKYO 決勝戦<br />【WORLD GP 準決勝】| 2005年11月19日}}
{{Fight-cont|○| [[チェ・ホンマン]]| 3R終了 判定3-0| K-1 WORLD GP 2005 IN TOKYO 決勝戦<br />【WORLD GP 準々決勝】| 2005年11月19日}}
{{Fight-cont|○| [[アレクセイ・イグナショフ]]| 3R+延長R終了 判定3-0| K-1 WORLD GP 2005 IN OSAKA 開幕戦<br />【スーパーファイト】| 2005年9月23日}}
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{{Fight-cont|○| [[ジェフ・フォード]]| 1R 1:28 TKO(レフェリーストップ:右肩負傷)| K-1 WORLD GP 2003 in ラスベガス<br />【世界最終予選 準決勝】| 2003年8月15日}}
{{Fight-cont|○| [[ヴァーノン・ホワイト|ヴァーノン"タイガー"ホワイト]]| 1R 1:55 KO(右フライングハイキック)| K-1 WORLD GP 2003 in ラスベガス<br />【世界最終予選 1回戦】| 2003年8月15日}}
{{Fight-cont|×| [[セ・シュルト]]| 5R終了 判定0-3| K-1 WORLD GP 2003 in 福岡| 2003年7月13日}}
{{Fight-cont|○| [[ビヨン・ブレギー]]| 3R 1:29 TKO(タオル投入)| K-1 WORLD GP 2003 in さいたま| 2003年3月30日}}
{{Fight-cont|○| [[アントニー・ハードンク]]| 5R終了 判定3-0| IT'S SHOWTIME 6 "As Usual"| 2002年9月29日}}