「エルンスト・テールマン」の版間の差分

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=== 逮捕・死去 ===
[[File:Stamps of Germany (DDR) 1976, MiNr 2107.jpg|200px|thumb|[[ドイツ民主共和国|東ドイツ]]が発行したテールマンの切手]]
1933年1月、二度の国会選挙の結果によりヒンデンブルク大統領はアドルフ・ヒトラーを首相に任命することとなった。危機意識をもった共産党は社民党に反ナチス共闘を持ちかけるようになった。しかし社民党と共産党は先に述べた経緯で敵対関係にあったため、共闘は拒否された。そして2月には[[ドイツ国会議事堂放火事件]]が発生し、ナチス政権は{{仮リンク|オランダ共産党|de|Communistische Partij van Nederland}}員の[[マリヌス・ファン・デア・ルッベ]]が逮捕されたことを理由に「ドイツ共産党が放火の黒幕」と断定し、共産党を非合法政党とした。共産党の議席は再選挙を行わずそのまま議席ごと抹消され、ナチス党は国会の単独過半数を獲得した。[[プロイセン州]]内相となっていたヘルマン・ゲーリングはプロイセン州警察に自らが新設したばかりの政治警察[[ゲシュタポ]]に共産党員たちの逮捕を急がせた。テールマンも3月3日にゲシュタポにより逮捕された。テールマンには二人の国選[[弁護士]]がつけられたが、その二人の弁護士はいずれもナチス党員だった。それでもテールマンは法廷の場でヒトラーを告発しようとしたが、国会議事堂放火事件共産党員裁判で[[ゲオルギ・ディミトロフ]]に反論を許して有罪にすることに失敗したばかりのナチス政権は、彼に反論の機会を与えないため、一向に裁判を始めようとはせず、テールマンを11年にもわたって独房で未決拘留し続けた。その間にも尋問と拷問だけは行われ、尻や顔や背中を鞭で打たれ、歯も4本折られた<ref>『ヒトラーの秘密警察 ゲシュタポ 恐怖と狂気の物語』94ページ</ref>。
 
1944年8月には[[ブーヘンヴァルト強制収容所]]へ移送の上、[[親衛隊 (ナチス)|親衛隊 (SS)]] 隊員により銃殺された。ナチスは元社民党の{{仮リンク|ルドルフ・ブライトシャイト|de|Rudolf Breitscheid}}と共に[[連合国 (第二次世界大戦)|連合軍]]のブーヘンヴァルト空爆により死亡したと虚偽の発表をした。なお妻ローザと娘イルマは、テールマン殺害に先立ち逮捕され、[[ラーフェンスブリュック強制収容所]]及びその付属収容所に送られたが、二人とも生きて終戦を迎えることができた。