「クリストフ・メッツェルダー」の版間の差分

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'''クリストフ・トビアス・メッツェルダー'''(Christoph Tobias Metzelder, [[1980年]][[11月5日]] - )は、[[ドイツ]]・[[ノルトライン=ヴェストファーレン州]][[ハルテルン]]出身の元[[サッカー|サッカー選手]]、サッカー指導者。現役時代のポジションは[[ディフェンダー (サッカー)|ディフェンダー]](センターバック)。
 
== 経歴 ==
[[File:Metzelder.jpg|thumb|left|150px|レアル・マドリードでプレーするメッツェルダー]]
ブンデス[[レギオナルリーガ3 (ドイツサッカー)|レギオナルリーガ]](3リーグ相当)の[[SCプロイセン・ミュンスター]]でキャリアをスタート。[[2000年]]にブンデスリーガ1部の名門[[ボルシア・ドルトムント]]に入団。国内でも無名に近い選手だったが、2000-2001シーズンはいきなり19試合に出場し、若手への切り替えを進めたい[[ルディ・フェラー]]監督の目に留まり[[2001年]][[8月15日]]には早々と代表デビューを果たした。2001-2002シーズンにはベテランDF[[ユルゲン・コーラー]]から完全にポジションを奪い、リーグ制覇と[[UEFAカップ]]準優勝に貢献した。[[2002 FIFAワールドカップ]]に向けた代表メンバーにも選ばれ、3バックの左で全試合出場。終始素晴らすると安定パフォーマンスを披露しみせ、下馬評では低かったドイツを準優勝に導く原動力の一人となった。
 
2002-2003シーズンも活躍を見せ順調なキャリアを築いていたが、2003-2004シーズンは前シーズン終盤に負ったアキレス腱の怪我の影響で一試合も出場できず、翌2004-2005シーズンも初出場が12月と、度重なる怪我に悩まされ、代表からも遠ざかった
 
2005-2006シーズンからは復調し、三年ぶりの20試合以上出場となる23試合に出場した。そして[[2005年]][[10月12日]]の[[サッカー中華人民共和国代表|中国]]との親善試合で念願の代表復帰を果たす。若いディフェンスラインを組む[[ユルゲン・クリンスマン]]のチームにおいてもその経験は貴重とみなされ、[[2006 FIFAワールドカップ]]のメンバーにも選出。前回のW杯同様に活躍を見せ、またも下馬評の高くなかった母国を3位に導いた。
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* 趣味はパソコン。忍者のコスプレをしたことがあり、ホームページ上で披露した。
* [[ボルシア・ドルトムント]]でのチームメイトだった[[セバスティアン・ケール]]とは、メッツェルダーがそのライバルクラブであるシャルケに加入してからも仲が良い。チームメイト時代にはホームページ上でよくケールの話題を出していた。
 
== 所属クラブ ==
*{{flagicon|GER}} [[SCプロイセン・ミュンスター]] 1999-2000
*{{flagicon|GER}} [[ボルシア・ドルトムント]] 2000-2007
*{{flagicon|ESP}} [[レアル・マドリード]] 2007-2010
*{{flagicon|GER}} [[シャルケ04]] 2010-2013
 
== タイトル ==
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{{ブラヴォー賞}}
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{{Navboxes|title = ドイツ代表 - 出場大会
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{{2002 FIFAワールドカップドイツ代表}}
{{2006 FIFAワールドカップドイツ代表}}