「三菱リコール隠し」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
8行目:
 
== 概要 ==
2000年(平成12年)[[7月18日]]までに、当時販売台数ベースで[[トヨタ自動車]]・[[日産自動車]]・[[本田技研工業]]に次ぐ乗用車国内シェア4位の自動車メーカーであった[[三菱自動車工業]](三菱自工)が、1977年(昭和52年)から約23年間にわたり、10車種以上(最初の届け出だけでも[[三菱・ランサーエボリューション|ランサーエボリューション]]を含む[[三菱・ランサー|ランサー]]、および[[三菱・ギャラン|ギャラン]]、[[三菱・レグナム|レグナム]]、[[三菱・ディアマンテ|ディアマンテ]]、[[三菱・パジェロ|パジェロ]]、[[三菱・チャレンジャー|チャレンジャー]]、[[三菱・シャリオ|シャリオグランディス]]など乗用車系で6件約45万9,000台、大型・中型トラックで3件約5万5,000台)、計18件約69万台にのぼるリコールにつながる不具合情報(クレーム)を[[運輸省]](現・国土交通省)へ報告せず社内で[[隠蔽]]していた事実が、同年[[6月]]に運輸省(現:国土交通省)[[自動車交通局]]のユーザー業務室になされた三菱自動車社員による[[匿名]]の[[内部告発]]で発覚した。
 
内部告発の内容は、不正の要所を衝いており、どのように調査を進めるべきか、どこに資料や情報が隠されているか、どのように隠蔽工作を見破るべきかまで指示する具体的なものであった<ref>櫻井稔 『内部告発と公益通報 <small>会社のためか、社会のためか</small>』 [[中公新書]] 1837 ISBN 978-4121018373、51p</ref>。「品質保証部の更衣室のロッカー」「本社と岡崎の情報を突合せよ」という、あまりにも具体的過ぎる情報である<ref>小田桐誠 『NHK独り勝ちの功罪』 [[ベストセラーズ|ベスト新書]] 359 ISBN 978-4584123591、219-220p</ref>。
18行目:
一連のリコール隠しにより欠陥車を放置した結果、同年6月には熊本市内で、ブレーキの欠陥によりパジェロがワゴン車に追突、ワゴン車に乗っていた2人が首に2週間の怪我をする人身事故が発生している。このリコール隠し事件の責任を取り、当時の代表取締役社長であった[[河添克彦]]が同年8月28日に引責辞任する意向を固め<ref>『中日新聞』2000年8月28日 夕刊 1面1頁「三菱自・河添社長辞任へ リコール隠しで引責」</ref>、9月8日の正式発表<ref>『中日新聞』2000年9月8日 朝刊1面1頁「三菱自 河添社長が辞任を表明」</ref>を経て11月1日付で辞任した<ref>『中日新聞』2000年11月1日朝刊経済1面8頁「新社長登板2000 三菱自動車工業 園部孝氏(59) 気合入れ信頼回復」</ref><ref>『[[Response.]]』 [[2000年]][[8月28日]] 12時00分配信 [http://response.jp/article/2000/08/28/3858.html 「リコール隠し引責、三菱河添社長がついに辞任」]</ref>。
 
また同年8月27日には、[[警視庁]]交通捜査課などが[[道路運送車両法]]違反の疑いで三菱自工本社や岡崎工場(愛知県)など5ヵ所を家宅捜索した<ref>『Response.』 [[2000年]][[8月28日]] 12時00分配信 [http://response.jp/article/2000/08/28/3857.html 「ついに! 三菱リコール隠しで強制捜査」]</ref>。
 
[[東京地方検察庁]]は翌2001年4月25日、1999年の運輸省の立入検査で約10,300件の不具合情報を隠したとして、三菱自工の[[宇佐美隆]]副社長らを道路運送車両法違反(虚偽報告)容疑で[[書類送検]]した。副社長らは5月8日、[[東京簡易裁判所]]から罰金20万円、法人としての三菱自工も同40万円の[[略式命令]]を受けた。
 
この時点で、[[国土交通省]]から全ての自動車欠陥情報を開示するよう求められたが、1997年以前の情報を隠し、[[クラッチ]]や[[ハブ (機械)|ハブ]]の欠陥対策をとらなかった<ref>[http://plus.yomiuri.co.jp/article/words/%E4%B8%89%E8%8F%B1%E8%87%AA%E5%8B%95%E8%BB%8A%E3%83%AA%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%AB%E9%9A%A0%E3%81%97%E4%BA%8B%E4%BB%B6 三菱自動車リコール隠し事件 | ニュースクリップ [読売新聞<nowiki>]</nowiki>]{{リンク切れ|date=2014年10月}}</ref>。
 
このリコール隠しで、三菱自工は市場の信頼を失い販売台数が急減。[[最高経営責任者]](CEO)に、資本提携先のダイムラー・クライスラーからロルフ・エクロートを迎え入れ経営再建をはかるが、2002年、大型車([[三菱ふそう・ザ・グレート|ザ・グレート]]、[[三菱ふそう・スーパーグレート|スーパーグレート]]、[[三菱ふそう・エアロエース|エアロエース、エアロクィーン]]、[[三菱ふそう・エアロスター|エアロスター]]、[[三菱ふそう・エアロキング|エアロキング]]など)の[[タイヤ]]([[ホイール]])脱落事故が発生し、構造上の欠陥と更になるリコール隠しの疑念が濃厚となる。
 
2003年、三菱自工はトラック・バス部門を子会社の[[三菱ふそうトラック・バス]]として分社化するも、2004年には、2000年のリコール隠しを更に上回る7674万台ものリコール隠しが発覚、2004年4月22日、三菱自工の筆頭株主であったダイムラー・クライスラーが財政支援の打ち切りを発表。三菱自工の社長に就任していたエクロートが任期を待たずして4月26日限りで辞任した。
 
同年5月6日、大型トレーラーのタイヤ脱落事故(後述)で、三菱ふそう前会長の宇佐美や元常務ら7人が[[神奈川県警察]]に[[逮捕]]され<ref>『中日新聞』2004年5月6日 夕刊1面1頁「ふそう前会長ら7人逮捕 タイヤ脱落 ハブ欠陥隠ぺい 虚偽報告と業過致死傷 三菱自元常務も」</ref>、同月27日に[[横浜区検察庁]]・[[横浜地方検察庁]]は宇佐美ら5人と法人としての三菱自工を起訴した<ref>『中日新聞』2004年5月28日 朝刊社会面 31頁「脱輪死傷事故 三菱ふそう前会長ら起訴 虚偽報告『極めて悪質』」</ref>。さらに、6月10日には別の事故で三菱自工の河添元社長や宇佐美ら元役員6人が、神奈川県警察・[[山口県警察]]などに逮捕された<ref>『中日新聞』2004年6月11日 朝刊1面 1頁「三菱自・河添元社長を逮捕 クラッチ欠陥隠ぺい 業過致死容疑 元役員5人も 神奈川・山口県警」</ref>。