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'''エドゥアール・アドルフ・カシミール・ジョゼフ・モルティエ '''(Édouard Adolphe Casimir Joseph Mortier, [[1768年]][[2月13日]] - [[1835年]][[7月28日]])は、[[フランス革命戦争]]・[[ナポレオン戦争]]期の軍人。帝国元帥。[[7月王政]]期の[[1834年]]から[[フランスの首相|首相]]を務め、在職中に暗殺された。
 
[[1791年]]に軍隊に身を投じた。[[1792年]]から[[1793年]]の[[フランス革命戦争]]では北東戦線や[[オランダ]]、他には[[ミューズ川]]、[[ライン川]]方面で戦った。[[1799年]]の[[第二次対仏大同盟]]との戦いで[[旅団長]]、続いて[[師団長]]となった。[[1804年]]には[[元帥]]となった。[[ウルム]]に加わった後、[[アウステルリッツの戦い]]直前に、[[ミハイル・クトゥーゾフ]]率いる数で勝る[[ロシア帝国|ロシア]]・[[オーストリア帝国|オーストリア]]軍に対して単独で善戦した。[[1807年]]の[[フリートランドの戦い]]にも加わっている。[[1808年]]に[[トレヴィーゾ]]公となった。[[半島戦争]]にも参加したあと、[[親衛隊]]を指揮するようになった。[[1815年]]の[[百日天下]]の際、ナポレオン軍に加わろうとしたが、病のため[[ワーテルローの戦い]]には参加できなかった。[[1830年]]から[[1831年]]まで、フランスの大使として[[サンクトペテルブルク]]に派遣された。[[1834年]]に[[フランスの首相|フランス首相]]に就任、[[1835年]]に国民軍の行進を閲兵中、爆弾によって暗殺された。
 
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