「ファン・マヌエル・ファンジオ」の版間の差分

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F1通算24勝は[[1968年]]に[[ジム・クラーク (レーサー)|ジム・クラーク]]が更新するまで個人最多勝記録であった。不滅と言われたワールドチャンピオン獲得5回もミハエル・シューマッハに抜かれたが、46歳での最年長チャンピオンという記録は未だ破られていない(最年長優勝は[[ルイジ・ファジオーリ]]の53歳)。[[第二次世界大戦]]前のドライバー中心で始まった草創期のF1ではこの年齢は珍しくなかったが、ドライバーの事故死の危険が極めて高かった時代だけに、47歳まで現役のトップで戦ったファンジオの価値を損ねるものではない。
 
参戦51戦中24勝で勝率47.1%という記録は、極端に参戦数の少ないドライバーを除くと、圧倒的な数字である。数々のF1の記録を更新してきたミハエル・シューマッハをもってしても、最後までチャンピオン争いをした一度目の引退時における勝率が36.7%であり、シューマッハに次ぐ勝利数の[[アラン・プロスト|プロスト]]と[[アイルトン・セナ|セナ]]はともに25.5%であることから見ても、ファンジオの勝率は、F1草創期であるとは言え、想像を絶する記録であることが分かる。これら後続のドライバーが安定した体制(フェラーリや[[マクラーレン]])で数字を伸ばしたのに対し、ファンジオは8年間に4チームを渡り歩いたのが特色である。その都度強いマシンに乗り合わせた強運もあるが、当代一の名手として各チームから引く手あまただったという点は重要である。
 
また、その紳士的な人柄でライバルや後輩から尊敬を集めていた。F1引退レースとなった1958年フランスグランプリでは、優勝した[[マイク・ホーソーン]]が敬意を評してファンジオを周回遅れにせず、ゴールまで後方に従ったというエピソードもある。偉大な記録が更新されても、ドライバーの規範としてファンジオは根強く支持されており、F1の'''歴代ベストドライバー'''という評価もなされている。