「サヴォイア=カリニャーノ家」の版間の差分

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[[ファイル:Armoiries Savoie-Carignan 1656.svg|thumb|210px|サヴォイア=カリニャーノ家の紋章]]
'''サヴォイア=カリニャーノ家'''('''Savoia-Carignano''')は、[[イタリア]]の上級貴族の家系。1620年に'''カリニャーノ公'''('''Principe di Carignano''')の称号を授けられたサヴォイア公子[[トンマーゾ・フランチェスコ・ディ・サヴォイア|トンマーゾ・フランチェスコ]]に始まる[[サヴォイア家]]の分枝で、後に本家を継いで[[サルデーニャ王国|ピエモンテ=サルデーニャ]]、[[イタリア王国]]の王家となった。
 
== 歴史 ==
始祖の[[トンマーゾ・フランチェスコ・ディ・サヴォイア|トンマーゾ・フランチェスコ]]はサヴォイア公[[カルロ・エマヌエーレ1世]]とその妻のスペイン王女[[カタリーナ・ミカエラ・デ・アウストリア|カタリーナ・ミカエラ]]の末息子として生まれた。
 
[[カリニャーノ]]は1418年よりサヴォイア家領の封土となっており、[[ピエモンテ]]地方の一部を構成し、[[トリノ]]からわずか南に20kmの地点に存在した。しかしトンマーゾ・フランチェスコがカリニャーノを分封領として与えられたのはあくまで形式上のことであり、彼は独立領主でもなく、カリニャーノから貢納を受ける権利も認められなかった。その代わり、彼には莫大な世襲財産が分与された。
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1831年、サヴォイア本家の断絶に伴って第7代当主の[[カルロ・アルベルト]]がサルデーニャ王位を継承したことにより、サヴォイア=カリニャーノ家は名実ともに支配者家門となった。
 
== カリニャーノ公(1620年 - 1831年) ==
*[[トンマーゾ・フランチェスコ・ディ・サヴォイア|トンマーゾ・フランチェスコ]](在位1620年 - 1656年)
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1831年、カリニャーノ公はサルデーニャ王位を継承した。
 
== 脚注 ==
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== 参考文献 ==
 
== 関連項目 ==
*[[サヴォイア=アオスタ家]] - サヴォイア=カリニャーノ家の分家で、現在も続いている。
*[[サヴォイア=ジェノヴァ家]] - サヴォイア=カリニャーノ家の分家で、1990年代に断絶した。
 
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