削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
9行目:
元来は[[皇室]]所有物([[御物]])で、[[正三位]]の位を賜ったという伝承から、「槍に三位の位あり」と謳われた。[[正親町天皇]]より[[室町幕府]]15代[[征夷大将軍|将軍]]・[[足利義昭]]に下賜され、その後、[[織田信長]]を経て[[豊臣秀吉]]に渡り、秀吉より[[福島正則]]に与えられた。前述の逸話を経て[[黒田孝高]]の家臣・[[母里友信]]が正則より貰い受けた。
以後代々母里家に伝わるが、[[明治]]30年代に十代目太兵衛友諒の甥・浦上某によって同家から持ちだされる。その後、旧福岡藩士出身の[[頭山満]]のもとに持ち込まれ千円で買い取られたが、後に頭山は日本号を[[侠客]]・大野仁平にタダで与えてしまう。[[大正]]7年([[1918年]])、大野仁平が亡くなると遺族は頭山に返却しようとするが、頭山は与えたものだからと受け取らない。代わりに旧福岡藩士出身の実業家・[[安川敬一郎]][[男爵]]が一万円で買い取り、同9年([[1920年]])5月、旧藩主の[[黒田氏|黒田家]]に贈与した(なお、黒田家は返礼として、[[狩野常信]]筆の三対幅の軸と白羽二重を贈っている<ref>石瀧豊美『玄洋社発掘 もうひとつの自由民権 増補版』西日本新聞社、1997年</ref><ref>『黒田長政と二十四騎 黒田武士の世界』福岡市博物館、2008年</ref><ref>北九州市立自然史・歴史博物館編『安川敬一郎日記 第三巻』北九州市立自然史・歴史博物館、2011年</ref>)。その後、[[昭和]]になり[[侯爵]]・[[黒田長礼]]の死去後、夫の遺言により茂子夫人から[[福岡市]]に寄贈され(黒田資料の一つ)、現在は福岡市博物館の所蔵品として常設展示されている。
 
逸話として、黒田家家臣であった[[後藤基次]]が[[文禄・慶長の役|朝鮮出兵]]で窮地にあった母里を救い日本号を使ったとする事に由来する「槍の又兵衛」などという表現は、[[江戸時代]]の[[講談]]や[[軍記]]物語に書かれたものであり、史実では無い。